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第13章 夢2
「何を言ってるんです? あなたのことなんて僕は知りません。どうやって、この家へ侵入したんですか!? 警察に通報しますよ!」
意味不明な発言をする少年に対して日向は、鋭い目つきをして威 嚇 した。机の上にある折りたたみ携帯、または窓際のオーディオスピーカーの横で充電されている電話の子機をどうやって手に取って、110番通報するか、その方法を考えた。
不審者扱いされた陽炎は、あからさまに肩を落とし、落ち込んだ様子で口をへの字にした。彼は首を横へと傾けた。
「本当に覚えていません? 小さい子どもの頃、私を呼んだでしょう」
すると日向の脳裏には植仲町へ引っ越してくる以前の記憶が、ありありとよみがえってくる。
「日向、一体何をしているの?」
「お絵描き」と日向は白いチョークを手にした状態で明日香に答えた。黒いアスファルトの地面に膝をつき、大きな丸い物体をふたつ描く。「こっちが僕で、こっちがお友だち」
「まあ、誰を描いたの? 親戚の奏 くん?」と明日香は機嫌よく笑って日向の隣で膝を折る。
「違うよ。この子はね、【かげろう】」
「かげろう? もしかして虫のウスバカゲロウのこと? ――お友だちと川の近くへ行ったの? それとも、お父さんが公園に連れていってくれた?」
怪訝な顔をして明日香は日向を質問攻めにする。
チョークを動かす手を止めた日向は首を横に振った。
「虫じゃないよ。【かげろう】って子がね、会いに来てくれたの」
「……それは、いつの話?」
「いつもだよ。お友だちができなくて、仲間外れにされていると『大丈夫?』って声を掛けてくれる。僕に似たお顔をしてるよ」
戸惑いの表情を浮かべながら明日香は小声で「そう」と答えたきり、黙り込んだ。
その夜、日向はキングサイズのベッドから起き上がり、トイレを目指しに階段を下りていった。ドタドタと足音を大きく立てれば、父親である雪 緒 に「行儀がなっていない」と叱られ、頭を殴られるからだ。
ゆっくり片足ずつ出して慎重に一段ずつ階段を下りていく。
トイレで用を足し、手を洗う。そのままベッドルームへ帰ろうと思っていれば母親である明日香のすすり泣くような声が耳に入る。
なんだろう……?
日向は素足のまま、冷たいフローリングの床の上をペタペタ歩き、暗闇の中を手探り状態でリビングへ向かった。
リビングのドアは閉まっておらず、二、三センチメートルの隙間が開いており、白い蛍光灯の光が漏れていた。
日向は狼に見つからないよう身を隠している子やぎのような気持ちになって、ドアの隙間からリビングの光景をこっそり覗き込んだ。
グレーのスーツの上着を雪緒はソファへ放り投げ、ネクタイを床へ投げ捨てるように落とした。
それらを拾い上げている明日香は、今にも泣きそうな顔をしていた。
「だから雪緒さん、日向にあまり厳しくしないでやってください。あの子は、まだ三歳になったばかりなんですよ。いくら碓氷が礼儀作法の家だからって箸の上げ下げひとつで叩いたり、正座で何時間も座っていられないことを叱って外に放り出すのは、どうかと思うんです……」
「何を言ってるんだ。俺や、姉さんたち、親戚の連中も子どもの頃に叩かれ、殴られながら、しつけられてきたんだぞ。むしろ手ぬるいくらいだ」
「碓氷の事情はもちろん、わかります。けど、あんなふうに怒られたら日向が傷ついて立ち直れなくなってしまうかも……」
「そうなったら日向の責任だろう。三回言っても理解できず、何回も何十回も同じ間違いをする頭の悪い、あいつがいけないんだ。だから、あいつは幼稚園でも孤立するし、友だちのひとりもできない。いちいちそうやって、おまえが甘やかすから日向が大人の言うことを聞かないガキになるんだ」
「雪緒さん……」
「八時間労働している僕と違って、おまえは専業主婦だろ。一日中暇なんだから、ちゃんと子どもの教育ぐらいしろよ」
雪緒は感情の起伏が感じられないロボットのような声で言い、明日香に対して「使えない女だな」と舌打ちをする。手の中には口の開いた缶ビールがあった。
普段は化粧もせず、すっぴん状態でシャツにジーンズといったラフな格好を好む明日香は、きゅっとピンクの口紅が引かれた唇を引き結んだ。
頬はチークがついて上気しているように見えるが表情は、いまいち冴えない。むしろ身体に負った傷の痛みを堪えているかのようで見るからに痛々しい。
ふわりとした萌黄色のロングスカートを穿き、若草色のカーディガンを着ている姿は、息子である日向の目から見ても可愛かった。いつもの無造作なひとつ結びでなく、髪先を緩やかにカールさせた明日香の姿を、まるでおとぎ話に出てくるお姫様や王女様のようだと彼は目を輝かせたのである。
だが――明日香の夫であり、唯一無二の番であるはずの雪緒は、そんなことには興味ないといった様子で眼鏡のブリッジを指先で上げた。神経質そうな目つきをして辺りをぐるりと見回す。リビングのホコリや汚れがないか、家の中にささいな変化や異常がないかを確認し、抜き打ち検査でもするみたいな様子だ。
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