115 / 157

第13章 夢6*

「そうだよね。僕、夢を見てたみたい! ごめんね、朝から変なこと訊いたりして」 「大丈夫? いやな夢を見たの?」 「うん……でも、もう平気。学校へ行く準備してくるね」  そうして日向は洗面所へ向かい、冷たい冷水で顔を洗ったのだ気を引き締めた。  二階の自室へ戻り、学校へ行く準備をして半袖にスラックス姿になった日向は紺色のスクールバックを手にし、リビングへと下りる。 「いただきます」の挨拶をして日向と明日香はふたりで朝食をとり始めた。 「日向、今日はどうするの? 期末考査も近いんでしょ?」と明日香は日向に声をかける。 「うん、そう。だから、さくちゃんや絹香ちゃんたちと一緒に、穣くんのうちでテスト勉強」  母親の言葉に答えながら、日向はトーストにチョコレートスプレッドを塗って、かじった。 「そっか、穣くんの家の人によろしく伝えて。失礼のないようにね」 「もちろん、わかってるよ。お母さんは?」  氷の入ったアイスコーヒーのグラスをテーブルに置きながら「遅番よ」と微笑んだ。 「そっか、じゃあ僕が何か適当にお夕飯を作っておくね。何がいいかな?」  日向は、この間、料理上手の洋子が彼氏に作ったと話していた白身魚のムニエルや心が「案外作るのが簡単で定番料理なんだ!」と教えてくれた鮭のホイル焼きを思い出す。鮭やきのこは冷蔵庫にあるし、タラは穣くんのうちを出てバスを待っている間にスーパーで買って、保冷剤をつけてもらって帰れば腐らないよねと夕飯のメニューについて考える。  冷たい牛乳を飲み、空になったカップをテーブルに置き、「お母さん、今日は白身魚と鮭、どっちがいい?」と日向が訊こうとしたところで、明日香が「いつもありがとね、助かるわ」と日向に笑顔を向ける。「でも日向も期末考査があるし、今週の日曜には模試もあるでしょ。それに今年は受験生だし。だから今日のお夕飯は、お母さんが作るわ。心配しないで」 「えっ、いいよ、お母さん。遅番が連続で続いているから疲れてるでしょ? そんなに無理しないで」 「そうじゃないのよ。今日は日向のお父さんが帰ってくる日でしょ。腕によりをかけて、わたしがあの人の好きなものを作りたいのよ」  【お父さん】。明日香の口からその単語が出ると日向は全身を強張らせ、動きを止めた。お父さんが帰ってくる……。そう思っただけで心臓が早鐘を打ち、全身に冷や汗をダラダラかく。  頭の中でグワングワンと奇妙な音が響いて反響し、周りの音が聞こえない。黒曜石の瞳には食べかけの朝食や、頬を染め、(アルファ)の帰りを楽しみに待つ母親(オメガ)の姿ではなく、父親に殴られている幼い自分が映っていた。  突然、見慣れた家のリビングではなくスポットライトの照らされる舞台の上にいる状態となった日向は、驚愕する。リビングにあったテーブルと椅子、そして椅子に座っていた日向は魔法を使ったみたいに舞台の上へ瞬間移動したからだ。  テーブルの上には日向の食べていた朝食も、空のカップもなくなりっていた。雪緒の席に、伏せられた茶碗と味噌汁の椀、そして鮎を始めとした天ぷらが載った皿にラップがかけられている。  先ほど見た()()が鮮明に再現され、日向は驚愕する。 「やめて、雪緒さん。やめて……! 日向を放して!」と明日香が酔っ払っている雪緒を引き剥がし、呆然としている三歳の日向を抱き上げた。  明日香がいくら呼びかけても三歳の日向は返事をしない。どこを見ているかわからない虚ろな目をしている。まるで糸の切れた操り人形のように身動きひとつしない。 「まったく根性のないガキだ。これくらいでバカみたいに泣いたりして」 「何を言ってるんですか!? 日向が、あなたに何をしたって言うの?」 「ガキの分際で覗き見だなんて悪趣味な真似をするからいけないんだろう! おまけに父親が帰ってきたのに挨拶もなしだぞ。うちの母親だったら今頃、水風呂に放り投げてるか、木に縛りつけているところだ! 親父が現役だったときは俺だって顔が腫れるまでボコボコにされたんだぞ?」 「だからって日向を殴るんですか!? 雪緒さん、あなたが子どもだった時代とは違うんですよ! そもそも、あなたのうちはあまりにも……」 「うるさいぞ、明日香。オメガのくせに口答えをするな!」  雪緒は明日香の肩を足で蹴とばした。 「時代が時代なら、おまえなんて正妻でもなんでもないんだぞ。偉そうな口をきくな! 下女と変わらない身分の女がでしゃばるなんて生意気だ……!」 「それが番となったオメガへの――妻への言い分ですか?」  両目から涙をこぼし、日向の体を抱きしめながら明日香は、雪緒を睨みつけた。  おもしろくなさそうに雪緒は舌打ちをし、小物入れにあった明日香の車の鍵を手に取った。そして涙目の明日香の顔めがけて雪緒は鍵を投げつける。  顔面に金属が直撃し、明日香は肩を震わせた。 「俺に意見したいなら、この家から出ていけ! ここは俺の家だぞ!」 「そうですね、そうさせてもらいます。……あなたも少しは頭を冷やしてください」  それだけ言うと明日香は手早く床に落ちた鍵を手に取り、財布の入ったままのカバンや日向の愛用しているパーカーの上着を掴んだ。すばやく舞台の上に経っている木の扉のもとへ向かう。

ともだちにシェアしよう!