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第13章 夢8

 口をゆすぎ終わった日向は口元をタオルで拭い、「大丈夫、平気」と答える。 「そう? それなら急いで。バスがもう来ちゃうわよ」 「わかってる! ごちそうさまでした」 「気をつけて。いってらっしゃい」 「うん、いってきます」  白いスニーカーを履き、紺色のスクールカバンを背負った日向はドアノブに手をかける。突然、思い出したかのように母親のほうへ向き直り、「お母さん」と大きな声で呼ぶ。 「どうしたの、何か忘れ物?」  髪を結び終え、ゴミ出しの準備を始めた明日香が、洗面所から顔だけ出す。 「ううん、違うよ。……お父さん、帰ってくるのうれしいね。よかったねって言いたくて」  心にも思ってもいないことを口にし、作り笑顔で笑う。  明日香は頬を緩め、花が咲くような笑みを浮かべ、「ええ、そうね。すごくうれしいわ」と息子に言った。 「じゃあ、また夜にね」 「うん、ありがとう。日向」  日向は明日香におひさまのような笑顔を見せて母親に手を振った。  重い扉が音を立てて閉まる。  外へ出た彼は表情の抜け落ちた人形のような顔をしてスクールカバンを強い力で握りしめていた。 「お父さんなんて、この先、一生帰ってこなくてもいいのに――」  黒曜石のような瞳に、すずめたちがチュンチュンと鳴きながら電線の上を無邪気に飛び交う姿が映る。  まぶしい夏の日の光を浴びながら日向は、愛おしそうに鳥たちを見つめ、唇を引き結んだ。  人なれしていない鳥たちは、恐ろしい怪物に遭遇したかのように空へと飛び去る。  顔を正面に向けた日向はバス停までの道のりを無心で走った。

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