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第14章 アンノウン1

 朔夜は裏門の玄関を走り抜け、靴箱に白いスニーカーを投げ込むと下履きを履いて階段を駆け上った。階段を上り終え、奥にある教室へ向かうため、灰色の廊下を走る。 「おはよ!」  扉を勢いよく開けば「おはよう」とクラスメートたちの声がする。  全力疾走した朔夜は額に滲む汗を腕で拭い、息を整えた。 「あら、さあちゃん。朝礼ギリギリなんて珍しいわね。寝坊?」と下敷きをうちわ代わりにしていた絹香が、朔夜の顔の前で下敷きを扇いでやる。 「ああ、なんか変な夢を見てな。それで明け方、起きちまったんだよ。で、そのまま二度寝しちまった」 「変な夢ってなんだよ、朔夜。試験で赤点でも取る夢? おふくろさんにぶっ飛ばされたりしたのか?」 「祭」の筆文字が入ったうちわを腰に入れ、水筒の中に入った麦茶を飲んでいる角次が苦笑する。 「バーカ、そんなんじゃねえよ。俺が赤点なんて取るわけねえだろ」  後ろの窓際の席にカバンを置き、教科書やノートを机の中にしまっていく。  サッカー部の朝練を終えたばかりの穣はスポーツタオルを肩にかけ、朔夜の隣の席で頬杖をついていた。とがった八重歯を見せ、「確かにな」と相槌を打つ。「朔夜が音楽以外で赤点なんか取った日には、夏にヒョウが降るくらい縁起が悪いわ」  穣の前の席に座っていた衛は漫画の単行本を手にしたまま、「言えてるな」とうなずく。 「何言ってるんだよ。こんなカラッと晴れてる日にヒョウなんて降るわけねえっつーの」 「それもそうだな!」 「おいおい、ジョークだぞ、叢雲。本気で受けとるなって」  教科書やノートに筆箱を机の中にしまい終えた朔夜はカバンを教室の後ろのロッカーへと置きにいく。  その後ろを好喜がトトトと軽快な足どりで追いかけていった。彼は朔夜の隣に立ち、猫なで声で話しかける。 「なあ、朔夜。本当のことを言えよー」 「はあ? 何をだよ」 「変な夢のことだよ」と好喜は朔夜に耳打ちする。「本当は碓氷とエッチなことをしてる夢で、朝までシコってたんだろ?」  好喜の言葉を耳にした朔夜は動きを止めた。  ――さくちゃん。  アイスクリームのように甘く、とろける声で自分を求める日向の姿と、自分に従順に奉仕する陽炎の姿が頭をよぎる。 「わかるぜ、たまにこう……止まらなくなることってあるよな!? よっきゅー不満でさ。学年一位で模試も上位にいるおまえだって男だもんな」 「おい、好喜。おまえ――」 「いやー、もうすぐ数少ないプールの授業なんだぜ!? 太陽さんさんの中、女子のスク水姿が見放題! でも一途でムッツリなおまえは、碓氷のあの中性的でスレンダーな体にしか興味が……」 「うるせえ、黙れ」  鼻の下を伸ばし、鼻息を荒くしている好喜の頭にゲンコツを食らわせる。朔夜は席につき、黒板の近くにある四角いアナログ時計を眺めた。 「うわーん、熱いよ! 朝だけど、もうシャワー浴びたあい……夏って、ほんと、やだー!」  図書委員の心がぼやきながら教室に入ってくる。  その後ろを吹奏楽部の洋子と小説を借りに図書室へ行き、文庫本を三冊手にした疾風が続く。 「何もしてなくても汗かいちゃうものねー。クーラーと、かき氷が恋しくなるわー」 「()(ちょう)も、西(にし)(うみ)も何言ってるんだよ。まだ二十八度だぞ。昼過ぎには三十度超えの灼熱地獄だ」 「うっそー! それ、本当なの!? (せん)(どう)くん……!」 「なんだかわたし、気が遠くなってきちゃったわ—。外、出たくないかもー」  おしゃべりをしていた三人が席に着くと、真っ赤な折りたたみ携帯を手にした絹香が、隣の席の洋子に「ねえ、ひなちゃんは、どうしたの? 『休む』ってメール、来た?」と話しかけた。 「えっ、どうだろー?」  プリーツスカートのポケットから黄緑色の携帯を取り出した洋子は、画面をじっと見てから首を横に振った。 「ううん、来てないわよー」 「ええっ!? 休みじゃないの?」  絹香の驚く声を耳にした朔夜は黒いPHSの画面を明るくする。日向からのメールも、電話も来ていない。 「おい朔夜、碓氷はどうしたんだ?」  不思議そうな顔をして穣が訊く。 「いや、連絡来てねえからわかんねえ」  どうしたんだ、日向?   いやな予感を覚えた朔夜は立ち上がる。  まさか、また親父さんになんかされたんじゃねえよなと内心焦りながら彼は廊下へ出た。そのまま男子トイレの個室の中で電話を掛けるために歩を進める。 「おい、叢雲」  振り返れば眉間にシワを寄せた衛がいた。 「衛、日向から連絡はあったか?」 「いや、来てない。ただ、もしかして、って思ったんだ」 「何をだよ」 「カバンはあるのに日ノ目と虹橋さんの姿が見えないんだよ」 「なんだって?」  険しい顔つきをして朔夜は訊き返す。 「ほかのやつらが普通に過ごしてるから気がつかなかった。多分、碓氷は虹橋さんを――」  衛の言葉を最後まで聞かずに朔夜は階段を駆け下りる。  一年の教室を受け持っている女教師が、ただならぬ様子の朔夜へ声を掛けた。 「どうしたの、朔夜くん。もうすぐ朝礼よ?」 「野暮用です!」と大声で答えた朔夜は下駄箱のほうへ向かう。  光輝と菖蒲の靴箱の中から靴がなくなり、代わりに上履きが入っている。 「さ、さあちゃん……」

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