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第14章 アンノウン4
殴られた衝撃で日向はアスファルトの地面に尻もちをついてしまう。
「日向くん!」
菖蒲が日向の隣で膝をつく。
唇の端が切れた日向は手の甲で乱暴に口元を拭った。
いびつな笑みを浮かべながら光輝は、地面に座っている日向のことを嘲笑った。
「ざまあみろ! オメガのくせして、ベータの女の子の前でかっこつけようとするからバチが当たったんだ」
光輝は日向のことを鼻で笑い、彼の前で腰をかがめる。
「ほら、昔みたいに泣けよ。『さくちゃん、助けて』って情けない姿を……」
気がつくと光輝は地面に転がっていた。口をポカンと開き、柵を飛び越える羊のような形をした雲を眺めながら、ぱちぱちとまばたきを繰り返す。
日向は尋常じゃない速さで光輝の体を押し倒し、身動きが取れないようにした。眉間にしわを寄せ、光輝へ話しかける。
「甘いよ、光輝くん。空手の初歩的なことなら、さくちゃんから護身用として習ってるから少しはできるんだ。いじめられっ子だったときの僕と一緒にしないで」
すると日向は光輝の腕を離し、ため息をついた。
「僕は、さくちゃんの隣に立って、彼の番になるためにも強くなるって決めたんだ」
そのままアスファルトの地面で仰向けになっている光輝を放置し、菖蒲へと声を掛けた。
「大丈夫? 怪我はしてない?」
表情筋の固まってしまった菖蒲は、半袖からすらりとのびた華奢な二の腕を両手でさする。やわらかで、きめの細かい肌に赤い手形がついているのが、痛々しい。
「……はい、大丈夫です」
ものを食べながら小声で話すような口調で菖蒲は答えた。
ハキハキと元気よくしゃべる彼女らしくないな。そんなことを頭の片隅で思いつつ、「そっか。それなら、よかった」と日向は、かすかな笑みを浮かべる。
彼らの姿を目にした光輝は苛立ちをあらわにして歯ぎしりをする。
「なんだよ……オメガのくせに……!」
「いい加減にして、光輝くん。これに懲りたら……」
光輝は胸ポケットの中に入れていた合金製のシャーペンを手に取った。ダーツで遊ぶように日向の顔めがけてシャーペンを投げつける。
反射的に日向は、顔を横に背け、目を細めた。顔にものがあたらないよう、手を顔の前へやる。
シャーペンは日向の左手にあたり、地面へ落ちていった。
「いった!?」と声を漏らした日向の左手から血が流れる。
日向の隣にいた菖蒲は「信じられない」と光輝に目で訴える。
肩を上下させ、荒い息遣いをしながら光輝が唇を開く。
「なんでだよ……ぼくはベータなんだぞ。アルファの父親がいて親戚もアルファだ。なのに……なんでアルファに守られてなければ生きていけないような、弱いオメガに負けなきゃいけないんだよ!? 人生の負け組である負け犬のくせに……奴隷と変わらない身分のやつが、いっちょまえに吠えるな!」
「そろそろ、その口を閉じたらどう?」
「うるさい! ……おまえのせいだ。ぼくがこんな思いをするのも、空がああなったのも全部、おまえの責任だぞ、この人殺し!」
すると日向は険しい顔つきをしたまま口を閉ざした。両の拳を握り、小刻みに震わせる。
そんな彼の様子を菖蒲は目を細めて、じっくりと観察する。
「おまえのせいで三 人 も人が死んだんだぞ! ひとりは精神病棟から二度と出られなくなった。一家を不幸のどん底へ陥れた気分は、どうだ?」
「……やめて」
その言葉を耳にした光輝は調子に乗り、頼まれてもいないのにべらべらと喋り続ける。
「牢屋送りになったやつだって悪くない。オメガであるおまえが、アルファを誘惑したからいけないんだ」
「もう黙ってよ」
「まったく、朔夜も苦労するよな。おまえみたいなオメガが魂の番だなんて同情するよ。もしぼくが朔夜と同じ立場で、おまえなんかと魂の番であるくらいなら薬を飲んで、ベータになるけどね。朔夜は、いつも、おまえの尻ぬぐいをさせられて傷ついてばかりいる」
「っ!?」
頬を殴られても涼しい顔をしていた日向が、痛みを堪えるようにしかめっ面をした。
後もう一息だといわんばかりに光輝は日向を指差し、思いつく限りの暴言を吐く。
「おまえが生きているから、おまえの両親も、町の人たちも幸せになれないんだ。疫病神なんだよ。おまえの父親が言うように、さっさと死ねばよかったんだ。父親の言うことも聞けないなんて親不孝なやつ。――無能な警察は、おまえたちのことを無罪放免にしたけど、ぼくは知ってる。あの人たちを殺したのは牢屋送りになった男じゃない。おまえを守ろうとした朔夜だ!」
「黙れ!」
抑えきれない衝動と怒りから日向は両肩をわなつかせた。光輝を刺し殺さんばかりの目つきで見据える。
「なっ、なんだよ。その目は……」
うろたえた光輝は動揺し、後ずさった。
「あのさくちゃんが人殺し? そんなこと、するわけないだろ!」
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