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第15章 憤怒3
「おかしな人! そんなの当たり前じゃないですか? 誰だって、みんな、我が身が一番なんです。そして身内や愛する人、自分の得となる人間以外は、どうなろうと知ったことじゃない」
「虹橋、てめえ……!」
敵を威嚇する大型犬のように朔夜が菖蒲を威嚇する。
通常の人間――特にベータや下位のアルファであれば朔夜のような上級アルファの怒りを察知し、野生の肉食動物に遭遇したときのように怯えたり、肝を冷やす。それはオメガにも当てはまるが数は少ない。
菖蒲は朔夜が激怒する姿を前にして笑みを深めた。
「あらあら、そんな怖い顔をしてもいいんですか? あなたの大切なオメガが怖がってますよ」
彼女に怒りを向けたところで柳に風、暖簾 に腕押し状態だ。怒ったところで意味がない。自分が疲労し、菖蒲がおもしろがるだけ……と悟った朔夜は大きく肩を上下した。
朔夜の腕の中にいる日向はカタカタと肩を震わせ、涙をボロボロこぼしていた。
「やめて……怒らないで。僕を殴らないで……ぶたないで……」と繰り返し、何度も口にする。黒曜石のような瞳は焦点が合っていない。
日向は魂の番である朔夜のそばにいるのか、それとも父親であるアルファの雪緒のそばにいるのかがわからなくなってしまうほどに、頭がひどく混乱していたのだ。
そんな日向を前にした朔夜は困ったように眉を下げ、日向の頬を伝う涙を指先で拭ってやった。
「日向……おまえに怒ってるわけじゃねえ。俺は、おじさんとは違う。おまえを傷つけるようなことは絶対にしない」
「さくちゃん……」
菖蒲が、ベータに転換 した元オメガであることに勘づいた朔夜は、内心舌打ちをする。腸が煮えくり返る思いをしながら自らの負の感情を飲み込み、隠す。
「それであんたの望みはなんだ? 何を望む?」
「真実を知りたいんです。あの人たちが殺されたとき、あなたたちも現場にいたはず。日向くんに至っては祭の目玉である奉納舞をする役目を希美ちゃんと任されていたんでしょう? でも、ふたりとも舞を舞う前に、どこかへ消えてしまった。そのすぐ後に、あの兄妹が殺されました」
「……あの日、坪内さんはいつものように光輝と一緒になって日向に嫌がらせをしていた。俺と日向が恋人であるのを不服に思っていた坪内さんは、あんたがされたようなことを日向にもするよう、兄貴に頼んだんだ。けど、それに気づいた空が、光輝との約束を破った。祭の日、あいつが俺のところへ来て、日向のことを『助けてほしい』と頼んだ」
空の名前が朔夜の口から出ると菖蒲は片眉を上げ、疑いの眼で彼を見る。
「空ちゃんが?」
「嘘は言ってねえぞ。気になるなら空本人に訊けばわかる」
「……それで? 続きをお願いします」
「大人のいない隙を狙って、ことが起こった。襲われた日向は、自分であのクソ野郎のもとから逃げ出したんだよ」
日向は無言のまま弱々しく首を横に振った。これ以上は話さないでほしいと目で訴える。
しかし朔夜は日向を一瞥して、そのまま話し続けた。
「衛たちの力を借りて俺と日向は合流し、逃げた。真冬で寒い日だったから川で溺れかけた日向を温めようとして俺はマッチを擦ったんだ。けど、ちゃんと火の始末をしなかったせいで火事が起きたんだよ。
それで祭は中止。俺は警察に注意を受け、その後兄貴と家に帰ったんだ。日向は……疾風の姉ちゃんから電話を借りて、天道の家のじいちゃん・ばあちゃんの家に避難したよ。だから坪内さんとクソ野郎が、どうなったかなんて俺たちは知らないんだ」
「なるほど、そうやって朔夜くんは日向くんのことを庇い立てするんですね。まじめでで誠実な朔夜くんも愛する人を守るためなら手段を選ばないんだあ!」
菖蒲はニヒルな笑みを浮かべた。物語に出てくる悪役や海外のおとぎ話に出てくる悪魔の姿を連想させる笑顔だ。
「おい、何を言って……」
「わたし、男としては光輝くんのことが大嫌いです。でも普段ふんぞり返って、人に意地悪をしているような彼が、わたしのような女に必死になって『恋人になってほしい』と懇願する姿は、じつに滑稽で見どころがあります。だから構ってあげてるんです。
どこまでも卑怯で、卑屈で心の弱い人! それでも――彼の言ってることが、すべて正しくないとは思っていません。彼には彼の信条がある。歪んでいても、曲がっていても彼には彼なりの貫きたい道義や正義があります」
笑みを深めた菖蒲が、朔夜と日向のもとへ一歩一歩、近づいていく。
「あの兄妹はアルファでした。おまけに昴明さんは柔道部に所属していて県大会にまで出場し、銅メダルをとるくらいの実力者。将来は自衛隊へ入ろうと考えていたからガタイもよく、上背もあります。格闘技や武道を習ってないベータの大人なら骨を折る相手です。
しかしながら事件の犯人は栄養失調状態のホームレス。たとえ女の子である希美ちゃんを盾にされ、脅されていても昴明さんが万 全 の 状 態 だったら、あの犯人を逆に組み伏せたでしょう」
「それは……」
とたんに朔夜は口ごもる。
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