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第19章 兄弟1

 大きなため息をひとつついて朔夜は黒いランドセルを床へ投げた。青い布団カバーが掛けてある自分の布団へ正面からダイブし、目をつむる。  入学式の準備が終わった後も、あれこれ希美に話しかけられ続け、ベタベタと身体を触られた朔夜は顔色も悪くなり、ゲッソリしていた。  日向へ話しかけようとするたびに希美の邪魔が入り、日向も希美のことを苦手に思っているのか、朔夜に近づこうとすらしない。  せっかく進級したのだ。  朔夜だって転校生である希美をぞんざいに扱い、彼女のいとこである光輝と揉めごとや(いさか)いを起こし、いやな気分にはなりたくなかった。  しかしながら希美が朔夜に好意を寄せていることを、好喜を筆頭とした「モテナイ男同盟」の男子がブーイングを上げてくる。  日向と普段から仲のいい鍛冶や疾風は「魂の番がいるのに、ほかの女子と仲よくするなんて信じられない」と不満たっぷりな顔をしている。  腐れ縁で同じアルファであるはずの絹香からは白い目で見られ、友だちであるはずの衛たちからは、からかわれ――とウンザリすることばかりだ。  朔夜は家に帰宅すると手洗い、うがいもせずに、兄の燈夜と共同で使っている二階の部屋へ向かった。  ゴロンと体を横にして、雨漏りをしている天井のシミを数えたり、人の顔みたいだなとぼうっと眺める。 「ただいまー」と兄の声が階下からする。が、朔夜は兄の声に反応しないで、ゆっくりまばたきをした。  ギシギシと音を立て、今にも穴が空きそうな階段を燈夜が上る足音がし、ふすまが開く。 「おい朔夜、無視してんじゃ……何、寝てるの?」  青いブレザーを着た燈夜は、アナフィラキシーを起こしたときのような顔色をした弟のもとへ駆け寄り、顔をのぞき込んだ。 「あー……兄ちゃんだ。お帰り」 「おまえ、どうした? 血色が悪いし、毛並みも悪くなってるぞ。光輝に無理やり桃を食わされたのか!?」 「違う、そうじゃねえ」 「じゃあ、また具合でも悪いのか、熱は?」 「だから、ちげえって。人にベタベタ身体を触られて、興味ねえ話に相槌を打ったり、笑いたくもねえのに笑って疲れてるんだよ。ほっといてくれよ」  怪訝な顔をして燈夜はスクールバックを畳の上に置き、クローゼットのほうへ歩いていく。 「なんだ、女子か? 珍しいな、おまえみたいなやつを気に入る子がいるなんて。悪趣味にもほどがある」 「だよな、俺もそう思う」  嫌味を言ったのに、いつものように怒って噛みついて来ない。それどころか自虐する朔夜の様子に「これは重症だな」と燈夜は目を細める。 「愚痴だったら聞いてやるぞ。何があった?」 「んー……今日、転校して来た子がさ、とにかくしつこいんだよ。俺が『ほかに好きな人がいる』って言っても聞く耳持たず。容姿がなんつーの? 人間離れした美しさっつーのかな? 絵画に描かれた女神様とか妖精みたいに、きれいな子だから、めちゃくちゃ自信満々でさ。俺に振られるのは『絶対に、あり得ない』って勝ち気なんだよ。  腕を絡ませてきたり、抱きついたり、俺の頭や顔なんかも勝手に触ってきたりする。俺は、ちっともうれしくねえのに、好喜たちから『贅沢だ』っていちゃもんをつけられて、衛がおもしろがってるんだ。かといって穣や角次も助けてくんねえ。絹香は俺の姿にあきれて、鍛冶と疾風からは『最低』って冷たい目を向けられるんだ……」  弟の話に耳を傾けていた燈夜は「それはひどいな」と返事をする。 「日向は日向で、ぜんぜん俺のことなんか気にしてくれねえ。寄りつきもしないんだ」 「おまえは日向くんのことが好きだからな。好きな人に、そんな態度をとられたら確かにキツイよな」  燈夜は朔夜の言葉を肯定しながら、それが今、一番おまえの悩んでることなんだろ。遠回しな言い方をするなよなと内心、毒づいた。 「だろ!?」  勢いよく朔夜は上半身を起こす。 「日向は俺の魂の番なんだぞ! なのに俺のことを一向に好きになってくれねえし、やきもちもやかねえ……そんなのって、いくらなんでもあんまりだろ!?」  眉間にしわを寄せた燈夜が首の後ろを掻く。 「あのなあ、日向くんも、おまえもまだ小学生のガキなんだぞ。おまけに向こうはオメガとしても、男としても未成熟。恋愛どうこうより、友だちと仲よく遊ぶのを優先するのはごく自然な話だ」  傷ついたような表情を浮かべた朔夜は、慣れた手つきでネクタイを外す燈夜の後ろ姿を凝視する。 「おまえや絹香、洋子のほうがマセてるんだよ。まあ、女子は男子よりも精神年齢が高いっていうから不思議じゃないけど。おまえは異常だ。俺なんて高校入るまで恋愛の『れ』の字すら考えたこともないの」 「誰が異常なマセガキだと!?」と朔夜は兄の燈夜に噛みついた。「勉強、勉強、勉強で弟は、ほったらかし! 友だちにはやさしくても、俺には意地悪ばっかしてきた兄ちゃんに、そんなことを言われたくねえっつーの!」  くるんと振り返った燈夜は、爽やかな好青年といった笑顔を浮かべて朔夜に話しかける。

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