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第19章 兄弟3
まだ十二にもなってない少年の灰色の瞳には、子どもらしからぬ積年の恨みつらみや怒りといった負の感情が宿っていた。
燈夜は朔夜の目を見つめることができず、目線を黒と白のチェック柄のカーペットへ移す。
「それに日向が義理の息子になるのを父ちゃんや母ちゃんだって悪く思ってねえ。兄ちゃんだって、あいつのことを嫌ってねえだろ?」
燈夜は、愛犬の頭をワシャワシャとかき混ぜるようにして弟の|鳶《とび》色の髪を撫でた。
顔を真っ赤にした朔夜は「何すんだよ!」とがなり声をあげる。
「生意気でかわいげがないし、すぐにキレる。一度怒りだすと暴走車みたいに制御不能な愚弟の手綱を握ってくれるのは、あの子しか考えられない。ほかのやつじゃ制御不能で、すぐに放りだすことになるのは目に見えてる」
「兄ちゃん……」
「だけど本家の当主の言葉は絶対だぞ。おまえ、逃げ切れるのか?」
「んなもん、当然だ!」
自信たっぷりに朔夜は胸を張った。
「世界の果てまで日向を連れて逃げてやるよ」
「そうか」とだけ燈夜は、つぶやく。
「でも……|兎《と》|卯《う》|子《こ》の境遇には同情するわ」
どこかさびしそうな顔つきをして朔夜は、自分の首の後ろへと右手をやった。
「当主の娘っていっても、あいつのおふくろさんはオメガだからって浮気相手にされてきた。おふくろさんと仲よく平和に暮らしていたのに、おふくろさんが事故で亡くなって本家に引き取られても家政婦やベビーシッターに預けっぱなし。当主の血を引いているのに愛されたことがねえなんて、つらすぎる。それでも兎卯子はチビだから……父親がどんなやつかも知らねえ。父親に愛されようと必死に手をのばして、そのたびに無視されてる。三歳のガキには罪なんてねえ。だけど俺が結婚してえのは日向だけだから……何もしてやれねえのが歯がゆいんだ」
ため息をつきながら燈夜は畳の上に置いてあったスクールバックを机の横のフックへ掛けた。
「おまえがチビだった頃よりは、うちも暮らしやすくなった。俺も奨学金をもらいながら学生寮から通えば大学へ行ける。それでも、うちには他人の家の子どもの面倒を見る余裕はない。そもそも兎卯子をここに連れてくる権利も、理由もないからな」
「わかってるよ」と朔夜は唇を尖らせる。「たとえ金があったって、あいつの親権を当主が握ってる限り、どうしようもねえ。助けられるわけがねえんだよ」
「……そうだな」
「それにしても、いつになったら日向は俺を自分のアルファだって認識してくれるんだ? 俺は出会ったときに日向が魂の番だって気づけたのにさ。ぜんぜん、俺を運命のアルファだって認識してくれねえ……」
燈夜は、眉をきゅっと顔の真ん中に寄せた。
中・高年が魂の番と出会って相手を認識するのは、おかしな話ではない。身体が大人に近づき、アルファやオメガとしての機能が稼働し、子孫を残せるように準備を始めているからだ。
しかしながら未就学児が魂の番を認識するのは異例中の異例。世界的にも少ない話だ。
やっぱり自分の弟は、どこか普通のアルファやオメガと違うのではないかと不審に思いながら、燈夜は部屋の戸を開けて階段を下りていく。
その後を朔夜がついていった。
「おまえ、もとオメガじゃん。いつの間にかバース性がオメガに戻ったんじゃないないの?」
「んなわけねえだろ。俺がオメガに戻ってたりしたら、兄ちゃんや母ちゃん、絹香が先に気づくだろーが。兄ちゃん、冗談でも言っていいことと悪いことがあるんだぞ?」
「それもそうか……けど、おまえ、チビじゃん」と階段を下り、ミシミシいう廊下を歩きながら燈夜は嫌味を口にする。
「うるせえな! 人の気にしてることを指摘すんな」
アルファは男女関係なく体格に恵まれる。だから燈夜も身長が177センチメートルある。母親の真弓も165センチメートルと背が高いし、彼女の母親で朔夜と燈夜の祖母である|梓《あずさ》も歳を取って背が縮んだといいながら157センチメートルある。
一方、朔夜は、160センチメートルと背の低い耕助に似たのか、142センチメートルしかなかった。クラスの男子の中でも四番目に小さい。
アルファの絹香は女子でありながら、すでに156センチメートルある。
昔は朔夜のほうが少しだけ背が高かったのに、今じゃ日向のほうが150センチメートルと8センチメートルも背が高い!
その事実を彼は不服に思っていたのだ。コンプレックスである身長のことをからかわれて朔夜は息巻いた。
「俺だって中学に上がればなあ、もっと背がのびるんだよ! 日向が『さくちゃん、背が高くてカッコいい』って見上げるくらいにな。兄ちゃんよりもデカくなって見下ろしてやるから見てろよ!」
「はいはい、そうなるといいですねー」
「後でギャフンと言わせてやるからな!?」
「ったく、かわいげのないやつ。おまえが妹なら面倒見るのだって率先してやったのに……なんで、こんな小生意気で口うるさい、弟の面倒なんか見なきゃいけないんだよ」と燈夜はリビングのドアを開ける。そのままキッチンへ向かい、冷蔵庫から卵やネギ、ハムを取り出した。
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