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第19章 兄弟4

「かわいげのない弟で悪かったな! 俺だって意地悪を言う兄ちゃんよりも懐が広くて、俺のことをちゃんと理解してくれる兄貴がほしいっつーの!」 「ウッザ! もういいよ、やる気失せたわ。今日の昼飯は、おまえが作れ」  燈夜は、朔夜に向かって青ネギとハムの入った小袋をぞんざいに投げた。冷蔵庫に入っていた牛乳を自分のマイカップに注ぎ、一気に飲み干す。  朔夜は燈夜が投げてきたものを空中で見事にキャッチする。 「おい、何すんだよ! ご近所さんが作って、おすそわけしてくれた野菜だぞ!? 食べ物を粗末に扱うな!」と朔夜が大声を出す。  椅子に座った燈夜は、外飼いの犬が見慣れぬ人間を見つけ、番犬としての役目をまっとうしている姿を目にしたみたいな様子で耳を(ふさ)いだ。 「はいはい、わかってますよ。ったく、年々母さんみたいに口うるさくなって、わずらわしいったら、ありゃしない……」 「それは、こっちのセリフだ! いい歳して何考えてるんだよ!? ガキか?」 「大人ぶろうとしてるガキに言われたくないっつーの。それより早く飯、作ってくんない? それとも俺の焼き飯でも食う?」  顔を歪ませた朔夜が「ふざけんな!」と怒声をあげる。「兄ちゃんのは焼き飯じゃなくて炭化した米だろ! 人には得意・不得意がある。けど、どこをどうしたら。あんな人が食えねえ飯を作れんだよ……!」  丸焦げの肉と魚に水のようなパスタ。ダシが一切入ってない醤油だけの醤油ラーメン。異様な味と異臭が漂う何が入っているかわからない闇鍋状態のカレーを思い出し、朔夜は顔面蒼白状態となる。 「うるさいな、俺がキッチンに立とうか?」 「いい、いらない。立つな、立たなくていい! 兄ちゃんのクソまずい飯なんか食えるかっつーの」   そうして彼は冷蔵庫から卵をもう一度取り出した。コンコンと卵の殻にひびを入れ、銀色のボウルの中に落とす。 「ほんとムカツクやつだな。で、おまえのことを好きになった悪趣味な子の名前はなんていうの?」 「坪内、坪内希美さん。家の面積をなん坪って数える『坪』に、内側・外側の『内』。小説家の苗字と一緒。ここら辺じゃ、珍しい苗字だよな。もとは東京にいたけど、父親の転勤で千葉に移って、そこからさらにこっちへやってきたんだって」  席に着いている兄に大声で答えながら、割った卵を菜箸でかき混ぜた。それが終わると炊飯器の中にある米をしゃもじで取って白い大きなボウルへ移す。その作業が終わるとコンロの火をつけ、油を引いた鉄鍋を温め始めた。 「――おまえのところもか?」  切ったネギを炒め始めると、ジュウジュウ音がして油が跳ねる。  朔夜は燈夜のほうへ顔を向けながら手を動かした。  燈夜は険しい顔つきをして何か考え込んでいる。 「何、兄ちゃんのところにも『坪内』って苗字の転校生が来たのか?」 「ああ、そうだ。坪内(こう)(めい)って、いけ好かない男がな」  朔夜からすると兄である燈夜は、弟には当たりが強いものの他人には人当たりがよく、空気を読んで、愛嬌を振りまく社交的な人間だった。  しかし母親と父親に似て光輝たちのように人をバカにし、見下して、いじめる人間には、とことん手厳しい。  両ひじをつき、口元で両手を組んでいる燈夜が本気で怒っている姿を目にして朔夜の肌は弱い電流を掛けられているかのように、ピリピリと痛んだ。 「金持ちの家の出身で、うちと同じく代々アルファを輩出している家だと豪語していたよ。本家の人間と同じで傲慢なやつだ。オメガの女子が発情期も来てない状態なのに言い寄ってた。その子が泣いて、いやがってるのに手首を拘束して、真っ昼間の校舎でその子の身体をベタベタ触ってたんだよ。服の上から胸を揉んだり、スカートの中に手を突っ込んだりしてな」 「なんだよ、それ……」と引き気味な様子で朔夜は返事をする。 「そういう()()()をするやつらもいるから最初は様子見してたんだ。けど、最後にはその子も『助けて』って。見てるこっちの心臓が潰れそうになるくらい泣いてた」 「助けたんだな」 「まあ、な。助けるのが遅くなったけど……ガラの悪いのやつらとつるんでる坪内は、彼女を無理やり人気のないところへ引きずって行こうとしたんだ」  白いボウルに入ったご飯を鉄鍋へ入れる。ご飯に卵が絡むよう、お玉でかき混ぜながら「なんだよ、それ。なんでそんなことを……」と戸惑いの声を上げた。 「オメガはアルファの“所有物(モノ)”。性欲を満たすための都合のいい道具って考えるアルファもいる。二十一世紀の平成の時代になってもオメガを人間として見ないやつがゴロゴロいるんだ。ペット以下、むしろ奴隷として扱っていいと思ってるんだよ」 「……そいつ、うちのクラスに来た坪内さんと兄妹なんかな?」 「可能性は高いな」と燈夜は静かに返答した。「発情期のあるオメガは人間と同じに扱う必要がない、排斥するべきだって考えるアルファの連中は、番制度を否定する。アルファの男女が結婚をして、アルファの血を引いた優秀な子どもが生まれてくることを強く望んでいるからな。今、小学校にはおまえと絹香しかアルファがいないだろ。その子、おまえか絹香に『つきあってるの?』とか『恋人同士?』って聞いたか?」  学校でのできごとを朔夜は瞬時に思い出す。カメラで撮ったような無音の画像が頭の中で表示された。 「そんな感じのことを訊かれたし、言われた。絹香にも俺が、どうこういってたな」 「おまえ、その子に目をつけられたんだよ。叢雲と同じオメガの排斥者の一族で父親も大企業に勤めていたんだ。きっと本家の貿易会社のことも知ってる。日向くんが危害を加えられないよう、気をつけろよ」 「言われなくても、わかってる」  返事をしながらコンロの火で熱くなった重い鉄鍋を動かす。朔夜はできあがった炒飯(チャーハン)をふたりぶんの白い器に移した。  そうして彼らは坪内兄弟の話を一旦やめ、互いの近況報告をしながら昼食をとったのだ。

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