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第20章 白昼夢1*
入学式が終わり、通常授業が始まってからも希美は朔夜にベッタリだった。
すでに朔夜は何度も希美の告白を断っているのだが、そのたびに……「でも恋人はいないんでしょ? だったら朔夜くんに恋人ができるまで好きでいさせて」と言われてしまったのだ。心を鬼にして「迷惑だから、やめてほしい」とはっきり伝えたら、「ひどいわ、私のことがそんなに嫌いなの?」と泣かれてしまい、言葉に詰まってしまうのだった。
日向はチラと朔夜と希美のほうへと目線をやった。
希美が朔夜に話しかけるたび、触れるたびにモヤモヤした気持ちになって、胸が痛んだ。
最初はいつものように朔夜へ話しかけようと努力していたものの希美に邪魔をされ、鋭い視線で有無をいわさぬ態度をとられてしまう。そんなことが何度も続くうちに、日向は朔夜へ話しかけるのが怖くなってしまったのだ。
朔夜が日向と一緒にいる姿を見なくなっただけで穣や角次、好喜、心や洋子たちと話すことも、めっきり減ってしまった。
ときたま絹香や衛が親切心で「大丈夫?」と声を掛けてくれるものの日向にとっては、わずらわしくてしょうがなかった。彼らに悪意がないとわかっていてもオメガとして下に見られ、「朔夜がいなければ何もできない」と決めつけられているような気がしてならなかったのだ。
「……ひなちゃん、ひなちゃんってば!」
はっとして日向は目線を机の上にある音楽の教科書から上へやった。
心配そうに顔を覗き込む鍛冶と、険しい顔つきをする疾風がいた。
「大丈夫? なんか具合、悪いの?」
「ううん、違うよ。なんでもない」と日向はリコーダーの入った袋と教科書を抱えて立ち上がった。
「本当かよ? おまえ、自分の顔を鏡で見てないのか?」
「えっ」
さあっと体から血が引いていくような思いがして日向は教室の中にある鏡の前に急いで立つ。
どうしよう……まだ、ほっぺが腫れてた? それとも目の周りにあざができてる!? と焦りながら鏡の中の自分を見つめた。顔色が真っ白で目の下にくっきりと青くまができている少年がいた。
よかった、顔に傷はできてないと日向は目を閉じ、息をつく。ふたたび目を開けると――日向の背後に死人のような顔色をした陽炎がいた。頭の先から、足のつま先まで真っ赤に染まっている。
慌てて日向は後ろを振り返った。
「鍛冶くん、疾風くん、どこへ行ったの!?」
忽然と友だちが姿を消したことに戸惑いを隠せない様子で足を進めようとしたら、その場で転がってしまう。教科書とリコーダーの入った袋が床へ落ちていった。
足首を誰かに掴 ま れ た 衝撃で日向は教室の床に体を打ちつけたのだ。
「いった……ひいいいっ!」
鏡の中から、しわだらけの老人の手が出ていた。まるで妖怪ろくろ首が首を長くのばしたみたいに老人の手は異様な長さを誇り、日向の足首をしっかりと掴んでいたのだ。
夜が突然やってきたみたいに教室の中が一気に暗くなる。机と椅子、窓や壁、ドアすらも四方八方から闇に飲まれ、消えていく。
鏡はまるで化物の口のように、どんどん大きくなっていった。そうして何十本という手が次々にのびて日向に襲いかかる。男たちの手には、なぜか鎌や鉈 や斧 に鍬 、包丁や竹槍といったものが握られていた。
「いや、いやだ……やめて……! 助けて、さくちゃん! お母さん……!」
日向は教室の床につめを立てて逃げようとした。
しかし髪や腕、足を掴まれ、鏡の中へ引きずり込まれてしまう。
「うわあああ……!」
そうして刃物が振り上げられるのを最後に目の前が赤く染まり、意識が飛んだ。
「……やっぱり寝不足なんじゃないか?」
疾風の声がして日向は目を見開いた。顔面蒼白状態で全身をガタガタと震わせる。
「疾風くん……手、手が……」
「手? 手がどうした?」
そうして疾風に左手を掴まれそうになったとき、反射的に日向は彼の手を払ったのだ。
うろたえた疾風は、まばたきをくり返すばかり。
鍛冶は、あんぐりと口を開いて疾風と日向の顔を交互に見比べた。
「ご、ごめん……や、やっぱり、ちょっと僕、具合が悪いみたい。早退したほうが、いいかな?」
頬を引きつらせながら日向は作り笑いをする。
先ほどの生々しい体験は、なんだったのだだろう? 彼は頭が混乱していた。心臓は早鐘を打っていた。
「よう、日向。冴 えない顔をして、どうした?」
光輝が、いつものふたりを従え、日向に声を掛ける。
「こ、こ、こ、こうちゃん!」
顔色を悪くした鍛冶は疾風の後ろへといち早く隠れ、疾風が鍛冶と日向を守るようにして前へ立った。
「なんだよ、光輝。碓氷に何か用か?」
「引っ込んでろ、先導。おまえは邪魔だ」
そうして光輝の金魚のフンをやっているふたり組のうち、ひとりが拳を作って振り上げる動作をした。もうひとりは手をバキバキ鳴らし、疾風と鍛冶を壁際まで追いやる。
眉根を寄せた日向は不機嫌そうに「何?」と訊き返す。
「おまえを守ってくれるヒーロー様がいなくなって、さびしいなあ。女の子で美人な希美ちゃんに朔夜をとられた気分は、どうだ? 悔しいだろ!?」
「べつに、なんとも思わないよ」
感情のこもっていない声色で日向は返答し、光輝の横を通り過ぎ、鍛冶と疾風のほうへ足を進める。
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