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第20章 白昼夢2

「おい、ぼくを無視するな!」  光輝は日向の肩を掴んだ。  顔を引きつらせた日向は短い悲鳴をあげ、その場で身体を縮こまらせる。  日向の様子がおかしいことに気づいた光輝は、にいっと歯を剥き出し、いやな笑みを浮かべる。彼の両肩に両手を置き、体重をかけ、耳元で(ささや)いた。 「おまえ、あのキチガイの父親に殴られたのか」 「……なんのこと?」 「嘘をつくなよ、日向。アルファの父親から存在を忘れられてなくって、よかったじゃないか。おまえみたいなマゾ野郎にとっては、さぞうれしいご褒美だったんだろ」 「うるさいよ、光輝くん。黙って」 「ぼくに命令するな!」と光輝は、日向の肩に置いた手に力を込め、さらに上から圧力をかける。  すでに全身を父親から痛めつけられていた日向は、光輝の手を振り払って立ち上がることもできず、ただ顔を歪ませることしかできなかった。 「まったく、おまえの母親は救いようのないバカな女だな。頭は悪いし、股も緩い。おまえのヒーロー様を生んだ女と番になれなかったからって、代替品をどこからともなく見つけてきた。おまえが父親から虐待されていても現実から目をそらし、番だからと別れようともしない」 「やめて……」  嫌悪感をあらわにした表情をして日向は、光輝を睨みながら、つぶやいた。 「でも朔夜の母親が、幼馴染であるベータの男と結婚しなかったら、おまえと朔夜は兄弟として生まれていたかもしれないんだ。兄弟同士の番契約は近親相姦になるから、ご法度だ。子どもが未成年なら親が罰を受ける」 「たらればで話をしないでくれる」 「たらればねえ」と光輝は日向を嘲り笑う。「朔夜は一時期オメガで、あいつの母親がどこからともなく拾ってきた子どもだって噂もあった。だとしたら、あいつの母親は誰だろうな?」 「きみは僕を目の敵にしている。だから僕をおとしめ、蔑みたいのなら何を言ってもいい。でも、お母さんや、さくちゃん、さくちゃんのお母さんを巻き込むのは、やめてくれないかな」  すると光輝たちは含み笑いをする。 「かわいそうな、日向。おまえのアルファ様は肝心なときには、いつも役立たずだ。いつだって口先だけの約束をして、おまえを守ることができない。目立ちたがりのかっこつけ野郎だ! そんなやつでも希美ちゃんみたいな美人で、きれいな子に好かれるんだから世の中おもしろいよな」 「……さくちゃんは坪内さんのことを、いやがってるみたいだけど」 「バカなやつ」  光輝は不遜な態度のまま鼻で笑った。 「叢雲の家は、おまえが思っている以上にアルファの中でも注目されている存在だ。それは分家でも変わらない。あいつが大人に近づけば近づくほどアルファの女は上級アルファである朔夜の恋人になろうと躍起になる。もちろんオメガの男女は、街灯にたかる虫のように、やつを誘惑するのはいわずもがなだ。わかるか? おまえの居場所なんて、どこにもないんだよ」 「違う。そんなことは……」 「認めろよ!」  肩に置いてあった右手を離した光輝は、日向の(ぬれ)()色の髪を乱暴に掴んだ。 「ひなちゃん!」「光輝、やめろ!」  鍛冶と疾風が悲鳴のような声をあげる。  光輝のお供をしているふたりは鍛冶の腹部にパンチをし、疾風の頬を拳で殴りつけた。 「鍛冶くん、疾風くん!」  ふたりを助けたくても日向の体は鉛のように重く光輝の手をどけることすらできなかった。  光輝は日向の頬を左手で鷲掴み、自分のほうへ向かせる。 「おまえは誰からも愛されてないんだよ。いつも誰かの二番手や三番手だ! ましてや、あのろくでないしの父親やオメガあがりの朔夜みたいなアルファたちにとっては、おまえみたいなオメガがどうなろうと関係ない」  瞬間、日向の眼前に見覚えのない景色が、ありありと浮かんできたのだ。  柱時計がボーン、ボーンと鳴る。古い洋館の廊下に日向は立っていた。足元には赤い絨毯、眼の前には木でできた扉がある。  日向は何者かに操られるようにして金色のドアノブに手を掛け、時計回りに回した。  子どもの目から見ても金の掛かっている書棚や机がある一室に青年がふたりいた。  朔夜によく似た彼は雪のように白い肌をしている。赤に近い鳶色の髪をして、青や緑に近い灰色の目をしていた。  彼は思いつめたような、何か覚悟を決めたような顔をして日向のほうを凝視する。 「()()()、もう終わりにしよう」  ヒムカ――その名前をどこかで聞いた覚えがあるのに日向は、どこで聞いたのかを思い出せずにいた。 「オメガである俺と駆け落ちするよりも、ベータの女と結婚し、子孫を残したほうが碓氷の家のためにもなるだろう」 「若様、私は……!」  どこかで聞き覚えのある声がする。  成人男性の手が日向の目に映り込んだ。  男の顔は()()にうりふたつだった。  思わず日向は眉間にしわを作り、「……僕?」と声を出した。慌てて口元を両手で押さえる。  しかし、男たちは日向のほうに目線をやらない。ただ、互いを一心に見つめている。  ほっと息をつきながら日向は手を身体の横にやった。どうやら彼らには日向の姿が見えないし、声も聞こえないようだ。  日向に容姿が似た男が朔夜に似た青年に近寄り、肩を掴もうとする。  だが、朔夜に似た青年は、その手を拒んだのである。

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