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第20章 白昼夢3*
「主従関係があるから、おまえは俺に従っていただけ。おまえの一番は、子どものときに、すでに決まっていた。俺の入る隙など、どこにもなかったんだ。おまえが断れないとわかっていて俺はおまえの主であることを利用し、無理強いした。どうか、あの夜のことは忘れてくれ」
「そのようなことを言わないでください。どうか話を最後まで」
「もうたくさんだ。これ以上、おまえの言い分など聞きたくない」
朔夜に似た青年は、きっぱりと言い切った。
「階級がなくなったと思えば今度はオメガだ、ベータなどと人間をわける尺度ができてしまった。貴族などと名ばかりで叢雲の家は落ちぶれた。――父様と母様が亡くなり、俺がオメガだとわかったら親戚たちは手のひらを返したのだから」
「若様……」
「いっそ俺とおまえが逆の立場だったら、よかったのにな。そうすれば何もかもがうまくいったのに」
朔夜によく似た青年は部屋を後にした。
すると突然、日向の中に誰かの感情が流れ込んでくる。言いようのない怒りや憎しみ、悲しみ、恨み、愛しさ……。
食欲もないのに食事を口の中へ詰められているような、延々と水を飲まされ続けているような苦しや不快感を覚え、日向は口元を押さえた。
彼には朔夜に似た青年の気持ちが、手に取るように理解できた。
「おまえは誰からも愛されてないんだよ」
光輝や、その取り巻きたちが嘲笑う。
瞬間、コップの水があふれるかのように抑えきれないほどの衝動が、日向の全身に伝わった。
日向は、前夜、父親に殴られ・蹴られた痛みを忘れ、光輝を組み敷いた。
光輝の腰巾着ををしている少年たちと鍛冶、疾風は何が起きたのかわからず呆然とする。
「な、何を……ぐぇっ!」
カエルが潰れたような声を光輝は出した。
血走った目をした日向は光輝の頬を拳で殴りつけたのだ。
「こうちゃん……!」
「日向、てめえ! 何すんだよ!?」
ふたりは日向を羽交い締めにし、光輝から離そうとする。
しかし彼らをたやすく払いのけた日向は、右の拳を振り上げ、涙をこぼしている光輝の頬を打ち続けた。
「ど、ど、ど、どうなってるの?」
腹を殴られた痛みが和らいできた鍛冶は日向の豹変ぶりを目にして涙目になる。疾風のシャツを掴み、どうしたらいいのかとオロオロする。
「わからない。ただ、碓氷を止めないとまずいってことだけはわかるだろ?」
しかし疾風の手は震え、足は一向に動かなくなっていた。
日向は目の前で光輝が泣きながら「父様、助けて!」と泣き叫んでも、やめない。
黒曜石の瞳からはすでに光は消え、人形のように無表情だった。
工場の機械が黙々と製品を作っていくように、日向は光輝の顔に自身の拳をめり込ませる作業を行う。
「日向くん? 何を……しているの?」
ピタリと日向は光輝を殴る手を止め、ゆっくりと頭を上げる。
日向の目の前には、眉根を寄せ、身体を強張らせている空がいた。
いつまで経っても日向や光輝が音楽室へ来ないのを不審に思った音楽係の彼女は、教室のドアを開け、日向が光輝を殴っているのを目にしてしまったのだ。
「……空ちゃん」
すると日向の目に光が宿った。彼は右手が異様な痛みを発するのに顔を歪ませた。
途端に光輝は日向の胸ぐらを掴み、押し倒した。日向の体の上に馬乗りになり、悪魔のような形相をして鼻血を垂らし、泣きわめきながら日向の細い首を両手で力いっぱい絞めあげる。
「殺してやる! オメガの分際でベータやアルファに逆らうな……! おまえなんか、さっさと死んじまえ……!」
「お兄ちゃん、やめて!」と空は光輝の腕にしがみつく。が、「うるさい、あっちへ行け!」
興奮状態の光輝はひじ鉄を食らわせて血のつながらない妹を退けた。
「こうちゃん、さすがにそれはまずいって……!」
「このままじゃ、人殺しになっちまうよ!?」
「黙れ! こいつは人間の皮をかぶった化け物だぞ。これは化け物退治だ!」
酸欠状態になった日向は、ぼうっとした頭で光輝の顔を見ていた。
そうして【彼】は自分を殺そうとする光輝の頬へと手をあてる。そのまま彼の目玉を指で潰すために照準を合わせ、真っ黒な瞳を大きく開けたまま、口元に笑みを浮かべる。
妙な殺気を感じとった光輝が勢い良く飛びのいた。
「ひなちゃん! 大丈夫!?」と鍛冶は、ひどくむせている日向の背をさすった。
「光輝、おまえ……!」
疾風は光輝になんてことをするんだと睨みつける。
ところが光輝は幽霊や妖怪といった不気味なものに遭遇したときのような顔つきをして、ひどく怯えていたのだ。彼は、何も入っていないランドセルを慌てて手にして「ぼくは気分が悪い。早退する!」と空に告げて全力疾走で教室を出ていく。
「ま、待ってよ、こうちゃん!」
「おれらを置いてかないでよ!」
お伴のふたりも光輝を追いかけるようにして逃げていった。
兄や、その友だちの態度に怒りを覚えながらも空は鍛冶と疾風に目線をやった。
「日向くんたちは保健室へ行って。わたしは先生に状況を伝えてくるから」と彼女は光輝たちとは反対の方向へ走っていく。
*
放課後になり、自宅へ帰った空は、お手伝いさんや庭先の草花の剪定をしている庭師に挨拶をして、自室に赤いランドセルを置くとすぐに光輝の部屋へ向かった。
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