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第21章 じれったいふたりの距離1
――朔夜は、日向が自分を恋愛対象として見てくれなくても、何気ない日常のできごとをしゃべったり、グループで遊ぶだけでも幸せだった。
父親に愛されていないことをコンプレックスに思い、ふとした拍子に悲しい目つきををする。そんな魂の番がクラスメートの輪の中に入り、普通に会話を楽しんでいる姿を見られれば、救われた。
その均衡が坪内希美というイレギュラーな存在によって崩れた。
ここ最近の日向は、友だちである鍛冶や疾風といても、あまり笑顔を見せない。絹香たちに対しても愛想笑いをすることが増えてしまった。どこか元気がなく、しょげている。光輝たちに嫌味を言われる回数も以前のように増えてきている。
大好きな人を笑顔にすることも、守ることもできないなんて、男としても、アルファとしても情けないな……と朔夜は自分を責めた。
狭い町で人口も少ない。朔夜が魂の番である日向よりも、同じ上級アルファである希美を選んだという噂は、あっという間に広まった。
唯一よかったことは、希美に兄弟がいないことだろうか。
朔夜は希美と昴明が兄妹であるか確認した。
希美は朔夜に「兄弟はいるのか?」と訊かれ、「いいえ、兄弟なんていないわ。いたら楽しいでしょうね」と答えたのである。
兄である燈夜の言っていたことが、ただの杞憂で済んだ。その事実を彼は心から安 堵 した。
大きなため息をついて朔夜はサッカーボールの入ったかごに、もたれかかった。
「なんだ叢雲、ずいぶんとお疲れな様子だな。腹でも減ったか?」
「それもそうだけど……なあ、衛」
「ん、なんだ? スーパーに行ってコロッケでも買い食いするか? おばさんに叱られても――」
「俺、どうしたらいい……?」
衛は、手に持っていたサッカーボールをかごの中に入れ、朔夜を茶化すのをやめた。
「日向としゃべれねえのが、つれえんだ。本当は自分でもわかってる。ちゃんと坪内さんを納得させる言葉が出ない、説得できねえ俺が悪いんだって。日向と話し合いの場を設けられねえことを言い訳にしてる。……でも、坪内さん、ぜんぜんこっちの話を聞いてくれねえんだよ。『やめてくれ』って言っても『何を言ってるの?』って真顔で答えてくる。マジで馬の耳に念仏だ。日向に話しかけようとするたびに邪魔してくるし、気づいたときには日向の姿が見えなくなってる……」
衛は、弱々しい声で胸の内を明かす朔夜に同情した。
世の中には恋人や妻がいても浮気や不倫をする男がいる。一途な男もいるが、希少価値の高い珍獣扱いをされるし、ほかの男たちから「浮気は男の甲斐性だ」という言葉を掛けられやすい。
朔夜にとってはどんなに容姿がよくても、好きでもない女に迫られ、本当に好きな人と口もきけない状況は苦痛そのものでしかなかった。思い人に避けられ、話せない。近くに寄りつくことすらできない日が続くのは、彼にとって大きなストレスだ。
「日向の笑った顔が見てえ。『さくちゃん』って呼んでほしい。ただの友だちとしてでもいいから、あいつのそばにいたい。それだけのに、なんでうまくいかねえんだろ……」
「叢雲」
「最近、あいつの笑ってる姿を見てねえ。坪内さんがベッタリだから、おじさんに、ひどいことをされてないかどうかも訊けねえんだ。なあ、どうしたら……どうしたら前みたいに、あいつを笑顔にできると思う?」
すっかり気落ちして、どこか傷ついた表情でいる朔夜の肩を、衛は抱いた。
「なあ、叢雲。いい加減、腹を決めたら、どうだ? もう一度、碓氷に告白しちまえ。『恋人になってほしい』って、はっきり言えよ」
大きく舌打ちをして朔夜は衛の腕をどけた。
「日向が俺の気持ちに応えてくれるわけがねえんだよ。あいつは俺のことを親友だって思ってる。第一そんなことをして坪内さんが日向に意地悪を始めたら、どうするんだよ? 告白なんて、できるわけがねえ」
そうして朔夜は備品倉庫の外へ出ていった。
さびしげな後ろ姿を見つめながら衛は「案外、碓氷は受け入れると思うけどな」と口ずさんだ。
「衛、何してんだ? とっとと帰るぞ!」
「ああ、今、行く」
そうして朔夜は備品倉庫の鍵を掛けた。職員室へ鍵を返しに行こうとしたら、衛が腕を掴んでくる。
「まずは家庭科室のほうに行こうぜ。洋子ちゃんが今日はマフィンを作るって言ってたんだ。早くしないとほかのやつらに取られちまう!」
「おまえ、ひとりで行けよ。つーか洋子には彼氏がいるってわかってるだろ?」
「高校生の彼氏な。都心の大学へ行けば、ほかの女に目移りするかもしれないし、洋子ちゃんだって『やっぱり同い年の子がいいわー』って振るかもしれないだろ」
「おまえなあ……」
「頼むよ、叢雲。おれひとりじゃ、絹香に何を言われるか、わかったもんじゃねえ」
朔夜の腕を離し、顔の前で両手を合わせている衛に対して朔夜は、ため息をつく。
「洋子以外にも女がいるのに、よくやるよな、おまえ。こっちに転校した日から六年間も思い続けるなんて、すげえよ」
「好きなものは好きなんだ。相手に迷惑を掛けない限り心は自由だろ」と衛は顔をほころばせる。「叢雲だって昔からバニラビーンズの香りがするものやバニラアイスが好きだろ。それと同じだ」
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