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第23章 初めての恋人1
宿題を終えた朔夜は夢心地な様子で畳んである布団の上に背中を預けた。その手には世界的作家の恋愛小説がある。
昨日までの彼は食い入るように縦書きされた文字の羅列を見つめ、寝る直前まで本の世界にどっぷり浸かっていた。大人たちは、こんなに複雑な恋愛をしているのかと心の中でつぶやきながら主人公である男と、彼を取り巻く女たちの姿を脳内で描き、客観的に観察する行為に熱中していたのだ。
しかし今日の朔夜は集中力が下がり、本をただ手に持っているだけ。目は何度も同じ行を行ったり来たりするばかりで一向に次のページへ進まない。
日向が希美に言った言葉や自分にかけてくれた言葉を思い出していた朔夜の頭は、風邪で高熱を出しているときのようにぼうっとしていた。
勉強机の上から電子音が鳴る。
勢いよく身を起こし、黒いPHSを素早く掴んだ。
日向からのメールを開けば、「電話、大丈夫だよ」とだけ書かれている。
左手でガッツポーズをした朔夜は、電話帳に表示されている「碓氷日向」を選択した。
胸を高鳴らせながらPHSを耳にあて、コール音を聞きながら軽く咳払いをし、のどの調子を整える。
『はい、碓氷です』
「日向? 俺だ、朔夜!」
『さくちゃん! 電話くれて、ありがとう。久々だね、こうやって電話で話すの』
いつもよりワントーン高い声で日向が、くすくすと笑う。
それだけで朔夜の胸は鼓動を打った。
日向が携帯電話を持つようになり、赤外線でアドレス交換をしたものの、それぞれ日常的に話す友だちは異なり、会話することは少ない。
グループで遊ぶことは多いが、誰かしらがメールを一斉送信をするので事足りてしまう。朔夜が日向とメッセージのやりとりをするのは一年に何回かメールを送るだけ。
たとえ体調不良で学校を休んだとしても朔夜が連絡を取るのは友だちである衛や同じアルファである絹香、幼稚園からつきあいがある穣や洋子たちが多い。
一方、日向は普段から交流のある疾風や鍛冶、気の合う空や学級委員長の心と連絡を取る。
お互いに電話をする回数は幼稚園の頃と比べて、明らかに減った。
日向と電話をするなんて何年ぶりだろうと思いながら朔夜は口もとをゆるめた。
『それじゃあ、今週の日曜日にバスで落ち合って、ショッピングモールへ行こうね』
「おお、そうだな! やっべぇ、日曜まで待ちきれねえよ」
『変なさくちゃん。明日も、明後日も学校で会えるのに』
「だって穣の誕生日までは俺たちが付き合ってるのは秘密にしなきゃいけないだろ」と朔夜は唇を尖らせる。「普通のカップルみたいに手ぇつないだり、イチャイチャしてえと思ってもできねえんだぞ。前と変わらず、表面上は友だちってことで通さなきゃいけねえ」
『そんなに僕と付き合えて、うれしいの?』
少し掠れた小さな声がして電波が悪いのかな? と朔夜は窓を開け放った。初夏を感じさせる青緑色の葉が風に吹かれ、ゆらゆら揺れているを眺めながら朔夜は携帯を持ち直す。
「もちろんだ。めちゃくちゃ、うれしい。サッカーの試合でシュートを決めて勝ったり、空手の大会で表彰台に立つときくらい浮かれてる」
『そんなに?』
「当たり前だろ。おまえと恋人になるっていう最初の難関を突破したんだぞ。恋人になれば、おまえに発情期が来たときも『魂の番』だって主張した上で堂々と項を噛めるし、ほかのアルファにとられないよう牽制することだってできるからな!」
『さすが、さくちゃん。そこまで僕のことを考えてくれてるんだ。すごい! 僕もさくちゃん以外のオメガになんてなりたくないよ』と日向が言ってくれるのをウキウキしながら朔夜は待っていた。
ところが五秒経っても日向からの返事がない。
「日向?」と朔夜は声を掛ける。
PHSの画面を耳から離してみると通話状態のままになっている。おかしいなと首をかしげていれば、『あっ、ごめんね。ちょっと、こっち曇り空で聞こえが悪いみたい。今、なんて言ったの?』と日向の声が、ふたたび聞こえる。
朔夜は目の前の空を見上げた。白い雲が大量に発生し、青い空を覆いつくさんばかりに浮いている。
日向の家は、山にしか見えない丘の上にあるのだから電波状況が悪くてもしょうがないか、と朔夜は思い至る。
「なんでもねえよ、大したことじゃねえから気にすんな」
『そう……』
「おまえ、今日はゆっくり休めよ。無理して具合が悪くなったら大変だからな」
『うん、わかってる。ありがとう、さくちゃん』
ギュッとPHSを握り直した朔夜は目を閉じる。
「なあ、日向……」
『何、さくちゃん?』
「好きだよ」
『えっ――……』と日向は戸惑いの声をあげた。『あ、あの……』
「なんだよ、そこは『僕も好きだよ』とか、『僕のほうが、さくちゃんのことを好きなんだから』とか言うところだろ」と朔夜は灰色の瞳を開け、唇を尖らせる。
『あっ、そうだよね。ごめん。気遣いができなくて』
「べつにいいよ。俺が言いたかっただけだし。でも次は、そういう感じで返事してくれるとうれしい。なあ、明日も電話かけていいか?」
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