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第23章 初めての恋人6

 冷たい緑茶の入った透明なグラスを手にした朔夜は、母親の瞳をまっすぐ見れないまま、かすかに自信のない声で問いかける。 「そんなこと思うわけないでしょ」  やさしい眼差しをした真弓は、しゅんとしている朔夜の肩に手を置いた。 「同性のアルファとオメガが付き合うのなんて、よくある話よ。それに日向くんなら、私も、耕助も文句を言ったりしない。あの子がどういう子かわかってる。何より――明日香の子だもの」と真弓は、唇を突き出している息子の表情を見つめ、苦笑する。「ただ、もっと大きくなってから、あんたたちが恋人になると思ってて、びっくりしたのよ」 「そう、それだ!」と涙目になった耕助が腕組をし、首を縦に振った。「まさか小学校六年生にして恋人がいる状態になるなんて。やるじゃいか、朔夜! さすが俺の子」 「父さんがモテた話なんて一度も聞いたことないけど。母さんがオメガの男や女たちにモテてるのは知ってるけどさあ。母さんや、ばあちゃんに髪の色や目の色は似てるけど、ぜんぜん父さんとは顔つきが似てないから」  冷静な様子ツッコミを入れる燈夜に、朔夜と真弓は顔をゆがめた。  頭の後ろを掻きながら耕助が空笑いをする。 「いやー、最近の子は、いろいろと進んでいて、すごいなあ! 俺たちの時代も早い子は早かったけど、小学生で誰かとカップルになるなんて、なかったもんなあ」 「だから朔夜がマセガキなだけだってば」  白いストローを噛み、ぼそっと燈夜が愚痴をこぼす。  笑うのをやめ、まなじりを下げた耕助は、朔夜のほうへ目線を向けた。 「なんにせよ恋人になったんだから今以上に日向くんのことを大切にしろよ。お互いにちゃんと向き合って話せば、今以上にわかり合える。いつも素直な気持ちで相手のことを考えて行動するのが一番大事だ。いい恋しろよ」  そうして耕助は白い歯を見せて親指を立てのだ。 「父ちゃん……サンキュ!」    *  朔夜との通話を済ませた日向は無表情のまま携帯電話のボタンを押した。  ベッドの上へ仰向けに寝転んだ。アイボリーカラーの天井をぼうっと眺めてから目を閉じる。  真っ暗な世界で「これで、よかったんだよね?」と自問自答する。  目の奥に――顔を真っ赤にして緊張したり、希美と対峙したときの厳しさを感じさせる凛々しい顔つきや、うれしそうに照れて頬をほころばせる朔夜の顔が――次々と浮かんだ。  日向は手を顔の前で交差し、光を遮るようにして視界を真っ暗な状態にした。  ……べつに悪いことはしてないし、嘘もついてない。これで、よかったんだよ。  さくちゃんにちょっかいを出した坪内さんが悪いんだ。  僕と、さくちゃんが魂の番で、さくちゃんが僕のことを好きだってわかっていて、あんな意地悪をしたんだから自業自得だよ。  そうやって希美を責めてみるものの一向にモヤモヤとした気持ちは晴れない。  目頭が熱くなった日向は「どうしよう……」と小さな声で、ひとり言をつぶやいた。 「日向ー、お風呂湧いたから入っちゃいなさーい」  階下から母親の明るい声がする。  身を起こした日向は、明るい口調で「わかった。今、入る」と大きな声で返事をした。  剣道の稽古でかいた汗を流し終わり、蛇口を反時計回りにひねって、きつく締める。シャワーヘッドをホルダーにかけ、へりをまたいで熱い湯船へ浸かる。  入浴剤が入れられていて、浴槽は深い水底のような深緑色になっていた。  森の中を連想させる木々の香りを肺いっぱいに吸い込んでから長く息をつく。  足を折り曲げて湯に浸かっていた日向は天を仰ぎ、オレンジ色の明かりを凝視した。 「そんなに朔夜くんとキスをしたり、その先に進むのがいやなんですか?」  ことさら、ゆっくりと頭をもとの位置に戻す。 「……陽炎(かげろう)」  自分と、うりふたつの少年が出現しても日向は顔色を変えなかった。  最初から彼がそこにいたかのような態度で「なんで、そんなことを言うの」と訊き返す。  丸いひざ小僧に両手を置いていた陽炎が右手を上げ、日向の桃色をした唇へと人差し指をあてる。 「『唇を重ねるのは特別な人とだけ』。特別親しくもない女の子の言葉を真に受けるなんて、どうかしてると思いますよ。国によっては口と口のキスが挨拶になるんですから」 「ここは日本だ。そんなことはしない」 「苦しまぎれの言いわけですか。キスのひとつやふたつ、犬に噛まれたと思ってすればいいのに」と口角を上げ、指を遠ざける。 「べつに、さくちゃんとするのが、いやなわけじゃないんだ」  意外な言葉が日向の口から飛び出して、陽炎は目を丸くする。 「そうなんですか?」 「ずっと憧れていた人で、魂の番であるアルファなんだよ。いやなわけがない」  しかし、日向の表情は、どこか浮かないものだった。 「それは本心ですか? 僕には『オメガの運命を受け入れるしかない』と仕方なく、あきらめているようにも見えますが」 「……わからないんだよ」と日向は、うなだれた。  まつ毛が小刻みに震え、瞳が左右に揺らぐ。 「さくちゃんに好かれていると、うれしい。隣にいるだけで心から安心できてホッとするんだ。手をつないだり、ハグをしても、気持ち悪いなんて一度も思ったことはないよ。それにね、さくちゃんのことを『好きだ』って言う人が、さくちゃんのそばにいると胸の奥や心臓がズキズキ痛い」

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