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第23章 初めての恋人7
「では、何をそんなに思い悩んでいるんですか?」
重苦しい空気が長れ、沈黙が下りる。
唇をきゅっと噛みしめ、考え込んでいる日向へ陽炎が声をかけようとした瞬間、「魂の番であるオメガとして、魂の番であるアルファを選んだわけじゃないって知ったら、さくちゃんは僕をどう思うだろうね」
自身を嘲る笑みを浮かべ、横に目線をやった日向が答える。
「もし、もしもだよ……この先、発情期を起こしたとき、僕がさくちゃんの番になっても、周りからは当然のこととして扱われる」
「それがなんですか? あなたはオメガで、朔夜くんはアルファ。魂の番だから、あたりまえ――」と眉を八の字にする。
そんな陽炎を日向は鼻で笑ったのだ。
「さくちゃんが坪内さんじゃなく僕を選んだは、僕という存在を好きだからなんて、そんなの絶対にありえない。魂の番でなければ、僕は、さくちゃんの『恋人』候補にすら、なれなかったんだから」
「日向……あなたは朔夜くんの気持ちを疑っているのですか? 彼を信じていないと……?」
「そうだよ。オメガでない男を好きになる物好きなアルファの男がいると思う? オメガである僕を女の人の代わりにして、蹂躙し、支配しようとする男たちの姿を想像するだけで吐き気がする。気持ち悪いんだよ」
目の前の陽炎をうらめしそうに睨みつけながら、日向は地を這うような声を出した。
「『オメガは外で発情して不特定多数に襲われても仕方ありません。男でも妊娠するので避妊で自衛してください。むしろセックスを楽しんで。でもアルファにうなじを噛まれたら、そのアルファに絶対服従しましょう』――そんなのどうかしている。異状だと思わない人たちのほうが変だよ」
陽炎は黒曜石のような目を丸くし、鏡に映ったかのように、うりふたつな存在を見つめる。男とは思えないほどに細いのどを上下させ、息を呑んだ。
「でもね、一番どうかしているのは、僕自身だ。みんなからぞんざいに扱われるのも、光輝くんたちからのいじめがひどくなって学校で殴られるのも、いつお父さんが家に帰ってくるんだろうってビクビクしながらおびえているのも堪えられないんだから。お母さんのためには、おっちょこちょいで、いつも怪我をしている日向を演じなくちゃいけないのに苦痛で、しょうがない。
でも本当のことを、お母さんや、おじいちゃん、おばあちゃんには言えないよ。警察や周りの大人に救いの手を求めたくない、求められないんだ。お母さんを守るどころか自分で自分も守れない、弱い存在だって認めたくない。これ以上、みじめな思いをしたくないから、オメガである性を利用した。僕は、さくちゃんの番になりたいから恋人になったんじゃない。あの人に守ってもらいたいから恋人になったんだ。自分がこれ以上傷つかないために、ずっと大好で、憧れてきたヒーローを悪役に――怪物にするんだからね」
「どういうことですか、日向」
「……誰でもよかったんだよ。僕を一番好きで、絶対に守ってくれる人なら……さくちゃんじゃないアルファでも、ベータでも、よかった。それこそ、アルファの女の子でも……」
ザパアッと音を立て湯が溢れる。排水口の中へ色のついた、お湯が次々に吸い込まれていく。
「情けない話……! あれだけ守られるのは、いやだって主張したくせに、自分からお姫様になる道を選ぶなんて! さくちゃんを苦しめたくない、傷つけたくないなんて口からでまかせ。でもね……お父さんに殴られる回数が増えれば増えるほど、お母さんの前でいい子な日向を演じれば演じるほど、身体の内側に黒くてドロドロしたものが大きく育っていくんだ」
まるで冷たい川の水にでも浸っているかのように日向は身体や唇を震わせた。熱い湯の中にいるにもかかわらず顔面蒼白で上下の歯を鳴らし、鳥肌の立った左右の華奢な腕で自らを抱きしめる。
身じろぎひとつしないで陽炎は日向の声に耳を傾けた。
「僕の中にいるそいつは、いずれ内側から僕を食い破って、骨の髄まで啜 りつくすんだ。そうしたら僕は僕でいられない。人として、やっちゃいけないことも平然とやってのける。そんな怪物になんてなりたくないよ」
陽炎は四つん這いになり、日向の両頬に手をあてる。じっと目を凝らしながら黒曜石のような瞳を見据えたのだ。
「だから朔夜くんを怪物に仕立て上げるんですか?」
「……そうだよ。卑怯者な僕は自分が生き残るために、さくちゃんを犠牲にするんだ」と日向は無理やり口角を上げ、目を細めた。
「日向、あなたはあなたで、あの人はあの人でしかありません。どんなによく似ていても僕らはべつの存在、べつの人格です。あなたは日向で僕は陽炎。ほかの何者にもなりえません。そして、なりかわれるものじゃない。あの人と自分を重ねるのは、やめなさい」
「やめたところで、なんの意味があるの? たとえば僕がきみの、きみが僕のふりをしたら、見抜ける人は、ほとんどいないはずだよ。お母さんや、さくちゃんだって見抜けないかもしれない。だから僕らを見ている人たちにとって、僕はきみで、きみは僕だってことになる。どっちがどっちかなんて関係ないんだ」
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