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第8話

その後美作さんは会計を済ませ、「また来ます」と言って帰っていった。 あの後ろ姿が頭から離れず、少し浮かれた気持ちのまま、片付けを始める。 食器を洗って、カウンターを拭いて。 真っさらな状態に戻った店内は、また静かになってしまった。 「あ、そうだ……きなりくん」 あれから少し経ったけれど、どうなっただろうと思い、控え室のドアをノックする。 すると、聞こえてきたのはマスターの声だった。 「マスター、居たんですね」 「うん。料理出した後から引っ込んでた」 任せてごめんね、と手を合わせるマスター。 椅子に座るマスターの足元に座り、頭を腿に凭れさせているきなりくん。 目をつぶって深い呼吸をしているところを見ると、どうやら眠っているみたいだった。 「やっぱりあのDomのお客さん、きなりくんにも?」 「……まぁ、俺が途中で止めに入るくらいにはね。帰ったとは言ったけど、半ば追い払っちゃったようなもんだよ」 「ひどい……あの人、もうパートナーがいるのに」 どんなことをしたか、詳しくは分からない。 それでも、マスターが出るくらいだというなら、きなりくんに相当無理をさせたはず。 一人のDomに一人のSub、と明確には決められてはいない。 それでも、パートナーを持つ普通のDomであれば、複数持とうだなんて考えない。 ただ支配したいだけ、尽くす人に囲まれたいだけ。 そんな考えを持つDomは、あまりSubの扱いが上手くない。 受け取るだけ受け取って、相手には何も返さない。 そんなことをされれば、Subは何が正解か分からなくてパニックになる。 どうすれば褒められるのか、どうしたら喜んでくれるのか。 ちゃんと言葉で教えてもらわなきゃ、僕たちは不安に押しつぶされて動けなくなる。 パートナーは、ただの支配する側と従う関係というだけではない。 お互いを信頼して、意見を擦り合わせて、やっと出来上がる平等な関係。 その認識は浸透しているけれど、守る人だけではないのが現状だ。 「きなりくん、体調は?」 「軽くサブドロップ入ってたかな。体は重かったみたいだから、kneelだけね」 「それでも十分ですよ。きなりくん、マスターのこと大好きですから」 きっとひどく扱われた分、マスターに思い切り褒めてもらったのだろう。 今は安心しきった顔をしているきなりくんを見つめる。 「パートナーには、しないんですか?」 「……きーくんは素直に頷いてくれなそうだからなぁ」 そう言うマスターの顔は、少し嬉しそうに見えた。

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