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第9話
あれから、「近くのスタジオで撮影があったから」とか「通っているサロンの帰り道で」とか……何かと美作さん、もとい“あさひさん”は通ってくれている。
そして、この前来たときにあさひさんが年上だと分かり、くだけた口調で話すようになっていた。
僕にも気を使わなくていいと美作さんには言われたけど……
年下だからと言っても気にしないと返されたので、「店員だから立場として申し訳ない」と言うとあっさり引いたのだった。
その代わりとして、下の名前で呼ぶことを約束させられた。
そして、僕のことは……
「ふーちゃんさ、仕事何時まで?」
この前マスターに“ふーくん”と呼ばれていたのを覚えていて、愛称で呼びたい……と。
きなりくん曰く文弥くんロックオンされてる、とのことで。
紳士的で眩しいところは変わらないけれど、意外とグイグイくるタイプだったらしい。
それもギャップでいいかも、と思う僕も僕だ。
「6時には閉店で、その後片付けし終わると6時30分ですかね」
「そっか……」
ちらりと時計を見た後、あさひさんはにっこりと笑って僕を見た。
「仕事終わり、俺とご飯食べに行かない?」
「……えっ?」
「迷惑じゃなかったらでいいんだけど」
思いがけないお誘いに、返事もしていないのにどくどく心臓が強く打つ。
断る理由なんてなく、僕は思い切り首を縦に振る。
するとあさひさんは目尻を下げ、「よかった」と呟いた。
「時間近くなったら、お店の前に迎えに来るから」
「はいっ」
「じゃあ、仕事頑張って」
値段ぴったりのお代をカウンターに置いて、あさひさんはお店を出る。
約束まで後3時間。
あの「頑張って」でいくらでも乗り切れる気がした。
あさひさんが出た後、他にもいたお客さんも徐々に帰っていく。
きなりくんと二人、片付けをしながら話をする。
「きなりくん、僕あさひさんにご飯誘われちゃった」
「へぇー……行くの?」
「うん。断る理由ないしさ」
僕がそう言うと、きなりくんは俯いて少し考えているみたいだった。
「一応気をつけておきなよ」
「……そんなに、気にしなくても」
「アイツの時だって、そうだったんでしょ」
びく、と体が震えて、動きを止めてしまう。
“アイツ”と言われると思い出すのは、どろどろした重い記憶。
「あさひさんも、僕も……パートナーが目当てなわけじゃないよ」
「ダイナミクスの話はしてないんでしょ。なら、美作さんは気付いてないだけかもしれない」
ぐっと布巾を握りしめる僕に、きなりくんは声を震わせて言った。
「ごめん、俺はさ……文弥くんにもう傷ついて欲しくないだけなんだ」
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