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第35話

きなりくんとマスターと話していると、新しいお客さんが来る音がした。 きなりくんについてフロアに出ると、お客さんは由梨さんのところに歩いていった。 あの人が、由梨さんの今の恋人か…… お似合いの2人に見惚れている間に、会計を済ませてカフェを出て行く。 パッと視線を移すと、あさひさんが僕を見つめていた。 「……ふーちゃん、ごめんね」 「いえ、あの。驚きましたけど、そんな」 しどろもどろになってしまう僕に、あさひさんはいつもより固く笑った。 「仕事終わったら、俺の家に来て。話したいことがあるから」 あさひさんはそう言って、僕に伝票とお代を渡す。 その後ろ姿がいつもより暗くて、僕は声をかけることが出来なかった。 * 夕方、閉店して店の片付けをしている時に、きなりくんが話し始める。 「そう言えばさ、手が何とかってあの元カノ言ってたけど、美作さんて何で手袋してるんだ?」 「仕事に影響が出ちゃうから、手に傷をつけられないんだ。日焼けも出来ないみたいだし」 「へぇ……家でもしてんの?」 「うん。お風呂以外は基本してるかも」 僕がそう答えると、きなりくんはふーんと僕をじとっと見る。 「気にならないの? それ」 「え? だって、守らなきゃいけないからしてるんだもん。気にならなくない?」 そう言って、ささっと仕事を仕上げる。 じゃあお先に、と2人に声をかけて着替えて店を出た。 あさひさんに早く会いたいと、思わず駆け足になってしまう。 この歩き慣れてきた道を一人で歩くのは、初めてだった。 いつもはあさひさんが手を引いて歩いてくれていた。 優しい、僕より大きな暖かい手。 恋人らしく触れてもらえるだけで、嬉しい。 あの手の感覚を思い出しながら歩けば、あっという間に家に着いた。 インターフォンを鳴らすと、あさひさんがドアを開けてくれた。 その表情は、まだ晴れない。 「あさひさん、どうします? お腹空きました?」 「いや……少し、話そうか」 ソファーに座ったらあさひさんが、隣をぽんぽんと叩く。 そこに座ると、真剣な目で僕を見つめた。 「ふーちゃんさ……俺が前に話したこと、覚えてる? 今まで恋人に振られてきたって」 「はい。いつも、って」 「その理由もいつか分かるって話したよね。あれ、今日由梨が言ってたことなんだ」 由梨さんが言っていたこと、と聞いて思い出そうとする。 思い当たることがあるとすれば…… 「俺、いつも手袋してるでしょ。仕事のためにしてるものだけど、だんだん怖くなったんだ」 「怖くなった?」 「外すのが、怖くなった」 ポツリと言葉を落とすあさひさん。 その目は、酷く悲しそうだった。

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