55 / 91
第55話(きなり)
“仕事終わったよ。これから家に行っても良い?”
画面を見ると通知にはそう書いてあって、思わず時間を確かめた。
まだ閉店には早いよな……そう思いつつ、来てくれることに関しては悪い気はしない。
まさか風邪で寝込むとは思ってもいなくて、高くなった熱に不安を覚えていたところだった。
“大丈夫 鍵開けておくから入ってきて”
恋人になって変わったことは、2人きりのときに敬語を使わないこと。
それに、お互いの呼び方。
“千博 さん”と呼ぶのは今だにくすぐったい。
でも、“きなり”って呼ばれるのは少し嬉しい。
2人のときだけの特別が、こんなに胸を躍らせるものだなんて知らなかった。
早くこないかなと寝返りを打ち、布団を鼻先まで引き上げる。
内側から広がる熱は不快なのに、体がまだ震えている。
これ以上上がるのは嫌だ、と自分を抱きしめて固く目をつぶった。
*
息苦しさを覚えて無理やり目を開けると、目の前に冷却シートを持った千博さんがいた。
頭が回らなくて、ただぼんやりと見つめることしか出来ない。
ぱちぱちとゆっくり瞬きを繰り返せば、千博さんがやんわり笑う。
「今貼り替えるね。冷たくなるぞー」
おでこがすーっと冷えて、息苦しさが軽くなる。
「朝電話したときよりも高くなってそうだね。病院行こうか」
「……いや。もし明日、下がってなかったら、行く」
「うーん……ま、それでもいいか」
きなりは病院嫌いかー、なんて笑われてムッとする。
嫌いじゃなくてまだ大丈夫なだけと抗議したいけれど、だるくて面倒くさい。
「店は?」
「あー……早めに閉めてきた」
「なんかあったの?」
そう聞くと、千博さんは言いづらそうに視線を逸らす。
何かやましい事でもあるのか、とじーっと見つめると困ったような顔でぽつりと話した。
「あのお客さんが来てさ。ちょっと嫌なことされて、ふーくん具合悪くなってね」
「っ、あいつ……」
「丁度美作さんが来てたから、その後帰したんだ」
大丈夫、と収めるように千博さんは俺の肩をぽんぽんと叩く。
美作さんと一緒に帰ったのなら、多分文弥くんのダメージは少し抑えられるはず。
心強いパートナーが傍にいるだけでも安心できる。
……くそ、なんで俺は今日休んでるんだろう。
俺が行っていたら、文弥くんは嫌な思いをせずに済んだかもしれないのに。
後悔で唇を噛むと、むぎゅっと頬を摘まれる。
「きなり、今は自分のことも大事にしなさい。風邪ひいてて辛いんだから」
「でも……」
「治したら考えよう? 心配して後悔してるのは俺も一緒」
「……はい」
いい子、と頭を撫でられるとふっと体の強張りが解ける。
汗をかいてるのが申し訳ないけど、安心して気が抜けてて言葉が出てこない。
「……あれ? きなり、首輪してるの?」
「え……あ、本当だ」
千博さんに貰った大事な首輪。
毎日、朝起きるとすぐにつける癖がついていた。
「いつも、起きてすぐつけるから。今日もしてた」
無意識だったとそう言えば、千博さんはぐしゃぐしゃと俺の頭を撫で回した。
ともだちにシェアしよう!