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第55話(きなり)

“仕事終わったよ。これから家に行っても良い?” 画面を見ると通知にはそう書いてあって、思わず時間を確かめた。 まだ閉店には早いよな……そう思いつつ、来てくれることに関しては悪い気はしない。 まさか風邪で寝込むとは思ってもいなくて、高くなった熱に不安を覚えていたところだった。 “大丈夫 鍵開けておくから入ってきて” 恋人になって変わったことは、2人きりのときに敬語を使わないこと。 それに、お互いの呼び方。 “千博(ちひろ)さん”と呼ぶのは今だにくすぐったい。 でも、“きなり”って呼ばれるのは少し嬉しい。 2人のときだけの特別が、こんなに胸を躍らせるものだなんて知らなかった。 早くこないかなと寝返りを打ち、布団を鼻先まで引き上げる。 内側から広がる熱は不快なのに、体がまだ震えている。 これ以上上がるのは嫌だ、と自分を抱きしめて固く目をつぶった。 * 息苦しさを覚えて無理やり目を開けると、目の前に冷却シートを持った千博さんがいた。 頭が回らなくて、ただぼんやりと見つめることしか出来ない。 ぱちぱちとゆっくり瞬きを繰り返せば、千博さんがやんわり笑う。 「今貼り替えるね。冷たくなるぞー」 おでこがすーっと冷えて、息苦しさが軽くなる。 「朝電話したときよりも高くなってそうだね。病院行こうか」 「……いや。もし明日、下がってなかったら、行く」 「うーん……ま、それでもいいか」 きなりは病院嫌いかー、なんて笑われてムッとする。 嫌いじゃなくてまだ大丈夫なだけと抗議したいけれど、だるくて面倒くさい。 「店は?」 「あー……早めに閉めてきた」 「なんかあったの?」 そう聞くと、千博さんは言いづらそうに視線を逸らす。 何かやましい事でもあるのか、とじーっと見つめると困ったような顔でぽつりと話した。 「あのお客さんが来てさ。ちょっと嫌なことされて、ふーくん具合悪くなってね」 「っ、あいつ……」 「丁度美作さんが来てたから、その後帰したんだ」 大丈夫、と収めるように千博さんは俺の肩をぽんぽんと叩く。 美作さんと一緒に帰ったのなら、多分文弥くんのダメージは少し抑えられるはず。 心強いパートナーが傍にいるだけでも安心できる。 ……くそ、なんで俺は今日休んでるんだろう。 俺が行っていたら、文弥くんは嫌な思いをせずに済んだかもしれないのに。 後悔で唇を噛むと、むぎゅっと頬を摘まれる。 「きなり、今は自分のことも大事にしなさい。風邪ひいてて辛いんだから」 「でも……」 「治したら考えよう? 心配して後悔してるのは俺も一緒」 「……はい」 いい子、と頭を撫でられるとふっと体の強張りが解ける。 汗をかいてるのが申し訳ないけど、安心して気が抜けてて言葉が出てこない。 「……あれ? きなり、首輪してるの?」 「え……あ、本当だ」 千博さんに貰った大事な首輪。 毎日、朝起きるとすぐにつける癖がついていた。 「いつも、起きてすぐつけるから。今日もしてた」 無意識だったとそう言えば、千博さんはぐしゃぐしゃと俺の頭を撫で回した。

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