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第60話

聞こえてきた声にぱっと顔を上げると、その人はやんわりと笑顔を向けていた。 「……あさひ、さん?」 「うん。ごめんね、怖かったよね……あの男の人、俺のこと見たら引き返しちゃってさ」 「俺がアイツをカウンターに寄越すわけないだろ?」 安心感が湧き上がってきて、大きく溜息をついた。 きなりくんはむすっとした顔で近づいてくる。 確かにきなりくんの言う通り、カウンターに来るはずないよなって、今になったら思えるのに。 「ふーちゃん、注文覚えてる?」 「あ、え、えっと」 「ふふっ……ホットミルクティーひとつ。あ! 追加でWベリーのムースも頼もうかな」 「はいっ、 かしこまりました!」 注文と言われても、思い当たるものが無く頭が真っ白になる。 それでもあさひさんは怒りもせず、もう一度ゆっくり注文を言ってくれた。 ……あさひさんで良かった、のかな。 たった一つの注文すら耳に入らなかったなんて、と品物を取りに行く間に溜息をつく。 それが聞こえたのか、マスターがキッチンの陰からひょこっと顔を出した。 「どうしたの、ふーくん。お疲れ?」 「あ……すみません、マスター。いえ、ただ……あのお客さんのことで、頭使っちゃって」 マスターはさっと真剣な顔に変わって尋ねてきた。 「今来てるの?」 「いえっ! ちらっと窓の外に影が見えたんです……それだけなのに、身体も頭も動かなくなって。思った以上にきてるんだなって、自分でも驚いてしまって……」 額に手を置いて、またふーっと思わず溜息が漏れる。 本当に、思った以上に負担になっている。 大丈夫だって言い張りたいし、そう思いたいのに。 こんな状況じゃ説得力ないよな……なんて、情けなく思える。 「この件に関しては無理しない。心にくるのは当たり前だよ、ふーくん。怖いことされてんの。怖がって当たり前なんだから、責めないで」 ぽん、とマスターに優しく両肩を叩いてもらって自分の肩に力が入っていたことに気付く。 思わず力が抜けて、緩んだ顔をマスターに向けると、ニッコリと笑い返してくれた。 それから、背中を押して「行ってっしゃい」と送り出してくれる。 ほんの一瞬、ほんの少し本音をこぼしただけで、こんなに暖かな言葉をかけてもらえるなんて。 マスターに気付いてもらえて良かったんだ、と背中にもらった勇気を背負ってカウンターに戻った。

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