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第69話
はっと目が覚めると、そこは見慣れた天井。
あさひさんの部屋だと気付いて、直ぐに口から出たのは「あさひさん」の名前。
確かに呼んだはずなのに、声は掠れて小さな音しか出てこない。
もっと大きな声を出さなきゃ、と声を出すと途端に噎せてしまった。
「ふーちゃん!? 良かった……」
「ぁ、あ……さひ、さん」
咳き込んだせいで気付いたのか、あさひさんが寝室に来てくれた。
掠れた声で名前を呼ぶと、あさひさんは眉毛を下げて僕の頬を撫でる。
「……無理しないで。水持ってくるから、待っててね」
僕が頷くのを見届けてから、あさひさんはキッチンに向かう。
身体を起こそうとすると、重くてぐらぐら揺れて思うようにならない。
少し頭の位置を変えただけで目眩がした。
無理やり持ち上げた身体がまた布団に沈み込んだ時、あさひさんが戻ってきてくれた。
「身体起こせる?」
「ごめんなさい……身体ふらふらして……目眩が、気持ち悪くて」
「分かった。無理しないで……このままなら、少し話せそう?」
小さく頷いてあさひさんを見上げると、泣いた後のように腫れた目元。
微笑んでいるけれど、それはいつもより大分ぎこちない。
「……あさひさん、僕……何から話せばいいか……」
「大丈夫、ゆっくり聞くから。話したくない事は後でもいいよ」
「っ……僕、早く帰ろうとしたら、あのお客さん……夜月さんが、来て」
情けないことに恐怖で動けなかったこと、店に連れ込まれて合意の無いまま仕置きをされたこと。
記憶が曖昧になったことを考えれば、自分はきっとサブドロップにでもなったのだろう……と、ぽつりぽつりと話した。
サブドロップのせいか今も、心と身体が切り離されたみたいな感覚が残っている。
あさひさんのおかげで忘れかけていた先輩との記憶が重なって、ただ「嫌だ」という感情が溢れてくる。
「ごめんなさい、ごめんなさい……っ、あさひさんに大事にしてもらった、僕をっ……僕が、大事に守れなくて」
それが一番謝りたかったこと。
僕の中で一番、許せなかったこと。
あさひさんに大事にしてもらって、Subとしての幸福を教えてもらって。
恋人として隣にいることの優しさを知って。
だから僕は、あさひさんの為に胸を張れるように生きていこうと思っていたのに。
思い上がりだったのか、どうしようもないくらい
Subの性に負けて……心を許していない人に身体を委ねてしまった。
それが何よりも、大きな後悔だ。
「……誰が何て言おうと、俺のパートナーで、恋人なのは文弥だよ。何があっても変わらない……文弥が文弥でいてくれる限り、ずっと」
黙って話を聞いてくれていたあさひさんが、震える声でそう返してくれた。
握ってもらった手に、痛いくらいの力がかけられる。
「文弥……文弥は頑張ったよ、いい子だ。俺の大切な人を、一生懸命守ろうとしてくれたんだ」
「……ごめんなさい、っごめ、なさ」
「もう謝らないで。今、ここに居てくれるだけで、十分だから……」
覆いかぶさるようにあさひさんの体重が柔く僕の上に落ちてくる。
身体をきつく抱き締められて、頭を撫でられて、あさひさんの涙が肩に染みて。
そこでやっと、僕のバラバラだったものが一つに戻る感じがした。
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