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第74話(あさひ)

荒い息の合間に、ふーちゃんが必死に訴えてくる。 汗で頬に張り付いた髪が色っぽいな、なんて。 さらりとその髪を避けてあげながら、それでも動きは止めない。 「やだ、声……こえ、ねぇ……っ、あさひさん!」 イヤイヤと髪を振り乱すふーちゃん。 嬌声が泣き声に変わり始めて、俺は動きを止める。 「ふーちゃん」と名前を呼ぼうと思った矢先のことだ。 「こわい、こわいっ……『置いて、いかないで』……っ!」 俺はふーちゃんから身体を離して、顔を覗き込んだ。 汗と涙が混じってぐちゃぐちゃの顔。 硬く目をつぶって、血が滲むほど唇を噛んで。 こんなに『怖い』と必死に訴えていたのに、どうして俺は…… 「ふーちゃん……ごめん、ごめんね。怖がらせて……俺っ、こんなこと……」 するつもりじゃなかった、なんて言えない。 現にここまで怯えさせてしまったのは俺だ。 「……あさひさん?」 「うん、ごめんなさい。俺、気付かないなんて」 「よかった、本当にあさひさんだ……」 また涙を零しながら、ふーちゃんがぎゅっと抱きついてきた。 安心させようと背を軽く叩いていたが、どうもふーちゃんの言葉が気になる。 「本当にあさひさんだ」って、一体どういう意味なのだろう。 鼻を啜ったふーちゃんは、俺からそっと離れる。それから目元を拭いながら、ぽつりと言葉をこぼした。 「僕、その……後ろからされるの、怖いみたいです……」 「怖いみたい、って?」 「前にお付き合いしてた先輩が、いつも後ろからで。顔見えないし、ロクな言葉もかけられてなかったので……」 ふーちゃんの心に傷を残す、昔の恋人。 やっと癒えてきたと思ったのに、俺が抉ってしまった。 乱暴に後ろから、ただ欲を吐き出すために思いをぶつけていたのは、彼も俺も変わらない。 「さっきの、途中からあさひさんの声がしなくなったから……誰にされてるのか不安で、混乱しちゃって」 「……そうだったんだ」 俺の顔を見ながら、申し訳なさそうに眉を下げるふーちゃん。 俺は一言返すだけでも、喉を振り絞らなければいけなかった。 「俺、ふーちゃんの傷を見ていたら……あいつにも、俺自身にも腹が立ってさ。正直、余裕無くなってた」 ふーちゃんの顔を見ていられなくて、ガシガシと頭を掻きながら俯いた。 ふーちゃんを守ると決めていた……大切にすると、誓っていた。 それなのに、俺がふーちゃんを傷つけてどうするんだろう。 「……ふふ、こんなあさひさん、初めて見ました」 不意に、ぽんとふーちゃんの手が俺の頭を撫でた。 「いつも余裕なあさひさんじゃなくて、安心しました」 本当に、偽りない声で安堵しながらふーちゃんはそう言った。 「え?」なんて間抜けな声が俺の口から漏れる。

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