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第6話

以前、彼女と利害が一致し、情報交換をすることになったのだ。 その時、会うための隠れ蓑で、東城をハニートラップにかけるふりをして何度かホテルで会っていた。 東城は騙されている役で、彼女を恋人のように遇した。本音のところでも、彼女とは気が合い、楽しい時間を過ごした。 その作戦は非常にうまくいった。 その後も、数回、彼女がハニートラップを仕掛けていると言われる案件のことは耳にした。 だが、最近は噂さえも聞かなかったのだ。 「しばらく、仕事はしていなかったの」 彼女は、東城をじっと見た。黒い目が濡れたように光る。「片岡が、先月亡くなったわ」 東城は、その言葉にゆっくりとうなずいた。「そうですか。それで。お気の毒でしたね」 「言われていたほどには、苦しまなかったの」と彼女は言った。「あなたのおかげだわ」 「俺は、何も」 「いいえ。あなたが、いい先生を紹介してくれたから」 片岡というのは、彼女の仕事上のパートナーということだった。 彼女よりかなり年上で、彼女に仕事を教えた。 危険が及ぶときには守り、一緒に仕事をこなしていた。彼女が信頼する唯一の男が片岡だった。 だが、彼は、数年前から肺がんにかかり、余命はわずかと診断されていた。 片岡は死ぬことよりも苦しむことを怖がっているの、とある時、彼女は東城に何気なく言った。 死ぬようなめにはたくさんあったから、それには耐性ができてるの。だけど、苦しいままに衰えるのは怖いんですって。その前に、自分で命をたってしまいそう。 夜中に、彼を探しまわることもあるの。本当は、私が怖がっているのね。彼が弱って、苦しんでいくのを。 いつもと同じ、平坦な声だった。だが、東城には彼女の痛みがはっきりとわかった。 その後、一度だけ、東城は、仕事とは別にといって彼女に会った。 それがこの店だった。 その時、東城は不要だったら捨ててくださいといって彼女に書類を渡した。 市朋会とは異なるが、よく知っている医師が勤めているホスピスへの紹介状だった。医師仲間からも評判の良い施設で、紹介がなければ入ることができないのだ。 「穏やかだった」と彼女は言った。「私たち、初めてのんびり過ごせたの。どこかの別荘地で休暇をとっているような感じだったわ。片岡は、眠ったの。時々、まだ、眠っているような気がする」 そういう声には痛みはなかった。 悲しみが深すぎて痛みを感じることもできないのかもしれないが。 「だから、あなたにどうしてもお礼を言いたくて」と彼女は言った。「ありがとう」

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