6 / 159
第6話
以前、彼女と利害が一致し、情報交換をすることになったのだ。
その時、会うための隠れ蓑で、東城をハニートラップにかけるふりをして何度かホテルで会っていた。
東城は騙されている役で、彼女を恋人のように遇した。本音のところでも、彼女とは気が合い、楽しい時間を過ごした。
その作戦は非常にうまくいった。
その後も、数回、彼女がハニートラップを仕掛けていると言われる案件のことは耳にした。
だが、最近は噂さえも聞かなかったのだ。
「しばらく、仕事はしていなかったの」
彼女は、東城をじっと見た。黒い目が濡れたように光る。「片岡が、先月亡くなったわ」
東城は、その言葉にゆっくりとうなずいた。「そうですか。それで。お気の毒でしたね」
「言われていたほどには、苦しまなかったの」と彼女は言った。「あなたのおかげだわ」
「俺は、何も」
「いいえ。あなたが、いい先生を紹介してくれたから」
片岡というのは、彼女の仕事上のパートナーということだった。
彼女よりかなり年上で、彼女に仕事を教えた。
危険が及ぶときには守り、一緒に仕事をこなしていた。彼女が信頼する唯一の男が片岡だった。
だが、彼は、数年前から肺がんにかかり、余命はわずかと診断されていた。
片岡は死ぬことよりも苦しむことを怖がっているの、とある時、彼女は東城に何気なく言った。
死ぬようなめにはたくさんあったから、それには耐性ができてるの。だけど、苦しいままに衰えるのは怖いんですって。その前に、自分で命をたってしまいそう。
夜中に、彼を探しまわることもあるの。本当は、私が怖がっているのね。彼が弱って、苦しんでいくのを。
いつもと同じ、平坦な声だった。だが、東城には彼女の痛みがはっきりとわかった。
その後、一度だけ、東城は、仕事とは別にといって彼女に会った。
それがこの店だった。
その時、東城は不要だったら捨ててくださいといって彼女に書類を渡した。
市朋会とは異なるが、よく知っている医師が勤めているホスピスへの紹介状だった。医師仲間からも評判の良い施設で、紹介がなければ入ることができないのだ。
「穏やかだった」と彼女は言った。「私たち、初めてのんびり過ごせたの。どこかの別荘地で休暇をとっているような感じだったわ。片岡は、眠ったの。時々、まだ、眠っているような気がする」
そういう声には痛みはなかった。
悲しみが深すぎて痛みを感じることもできないのかもしれないが。
「だから、あなたにどうしてもお礼を言いたくて」と彼女は言った。「ありがとう」
ともだちにシェアしよう!