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第106話
家に帰ると東城は部屋中の灯りをつけて回った。
「客が帰ると静かだな」と彼は言った。それから「今日は疲れた。もう休もうか?」と聞いてきた。
広瀬はうなずいた。東城にとっても自分にとっても長い一日だった。
ベッドの中で、東城は広瀬を抱きしめてきた。
強引ではなく、包み込んで、大事に自分のものにしてしまうような感じだ。
あまりに静かに時間がたつので、東城は眠ったのかと思った。
自分も眠らなければと思っていたら、東城が広瀬に質問してきた。声は平たんで、明るくも暗くもない。怒ってもいない。
「どうして、サインをしたんだ?」
広瀬は、腕の中で顔をあげて東城を見た。
「竜崎が言った通りになるなら、もしかすると、お前は起訴を免れられるかもしれない。だけど、お前が逮捕されるのが嫌だったのは俺の方だろ。お前は、出るとこ出るって言ってたじゃないか」
広瀬はうなずいた。
「そうです」
「じゃあなんであんな誘いに?」
「竜崎さんに協力するのは、逮捕が怖いからじゃないです。ずっとここに隠れて暮らすことはできません。やったことはやったことで、俺は、始末はつけます。そうしないと、いつまでも逃げることになる」
東城はわからない、という顔をしている。
「菊池を捕まえる協力をしたいんです」と広瀬は言った。「菊池は、俺を実験のサンプルで、自分のものだと思っています。彼は、俺を探しに来ます。だったら、こちらから捕まえにいく方がいいと思います」
「また、奴に操られて、どこかに連れ去られるってことがないって言えるのか?」
「それは、わかりません。その危険はあると思います」
東城は、広瀬を抱く力を強めた。広瀬は彼のしたいように身を任せた。東城は片方の手で頭を身体をなでてくる。優しく何度も、小さな子供にするようなしぐさだ。
東城の体温や心臓の音を直に感じた。
この身体が生きていてよかった。この人を撃ってしまったなんて今でも後悔ばかりだ。
あの時、自分は意識をコントロールできず、頭の中は復讐しかなくなっていた。その場にはいなかった菊池の声に支配され、身体は別な指示をうけて動いてていた。
もし、また同じようなことになったら、と思うと、広瀬は東城のシャツをつかんだ。この人をまた傷つけてしまうようなことにならないとは限らない。自分以外の誰かが、自分を支配するなんて、許せない。
警察や菊池に追われ、この家で息をひそめ、身を隠しているだけなんてできない。自分が原因で東城が傷つくようなことは、もう起こしたくない。
そのためにも、菊池を捕えるのだ。
東城の胸に抱き込まれていると、ベッドサイドのスマホが震える音がした。誰かが電話をしてきているのだ。
東城は、手を伸ばしスマホの画面をみている。それにしても、毎日毎日、電話は頻繁にかかってくるものだ。そして、東城も律儀に電話に応対するものだ。
彼は、画面を見て複雑な表情になったが、すぐに電話に出た。
「はい。東城です」
そう言いながら操作をしてスピーカーモードにしたので、声が聞こえてくる。
「東城さん、やっと電話にでたね」
「連絡しなくてすまない。取り込み中だったんだ」
忍沼だった。
「さぞかし取り込んでたんだね。協力者に連絡もできないくらいだから」嫌味たっぷりな口調だ。
「まあ、そう言うなよ」と東城が答える。スマホから目を放し、広瀬をじっと見て、その額にかかっていた前髪に手を伸ばし、人差し指ですくいあげる。
それから、ひと呼吸おき、彼は伝えた。「広瀬が見つかった」
忍沼が電話の向こうで声を喉につめらせる。
「あきちゃんを?本当に?今、どこ?」
「俺のすぐ近くにいる」と東城は彼に正直に告げた。
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