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第116話
菊池との話を終えて、光森のマンスリーマンションから出た広瀬は、自分の宿泊先に戻った。
そこは、竜崎が手配したホテルだ。
最近できたばかりの小さなホテルで、泊り客の大半は海外からの観光客やビジネスマンだ。
運営は今時のホテルらしくかなり効率化されていて、従業員の姿はほとんどみかけない。
狭い部屋に入りベッドに腰かけ、竜崎に電話をかけた。竜崎との連絡用のスマホは、ホテルに着いた時に預かりの荷物として渡された。
竜崎は数名で構成された特別チームで動いているらしい。電話に出たのは知らない声の男だった。相手は名前を名乗らなかった。
広瀬は、光森や菊池との会話を全て報告した。
「菊池は準備が整ったら連絡すると言っていました」
「シンガポールから日本に来る日はわかりそうか?」
「むこうから連絡してくるそうです。入国日がいつかはわかりません」
菊池がすぐに航空券を手配したとして、シンガポールから日本までは8時間程度はかかるだろう。実際に到着するのは明日か、状況によっては一週間後かもしれない。
「会う場所は?」
「それもこれから指定されます」
「警戒されているのか?」
「はい」と正直に広瀬は答えた。
「逃がさないように言動に気をつけろ」と男は強い口調で命令してきた。「動きがあればするに報告しろ」
「わかりました」と広瀬は答えた。
電話を切ると、広瀬はベッドで横たわり、目を閉じた。
菊池の猫なで声が、まだ、耳の奥にあるようだ。甘ったるく柔らかく、トロリとしたそれは、じわじわと浸食してくる。声で身体が震えてくるようだ。
菊池は広瀬の頼みに応じて、迎えに来ると言っていた。
彼は自分を疑っているだろう。それでも迎えにやってくるのだ。広瀬が菊池に会ってしまった
ら裏切らないという自信でもあるのだろうか。
そして、その不安を広瀬自身にも抱かせるような、磁力のある声だった。なぜ、支配されてしまいそうになるのだろうか。
怖いことなどないはずだと自分に言い聞かせた。
菊池のことを怖いと思う思考のループから意識を引きはがさなければ。違うことを考えよう。
こういうマイナス思考は疲れているせいだ。昨夜から眠ったのはわずかな時間だった。
朝から今の時間までこのホテルへの移動、連絡手段の確保、光森の周辺の状況確認、光森への訪問などやることはいっぱいあった。
こんなにも疲れたのは身体がなまっているせいだ。
大井戸署にいた時には、この程度の活動で疲れることはなかった。毎日の膨大な仕事をこなすことに苦はなかった。
すっかり弱ってしまったので、今は、身体を休めて、次に備えなければならない。
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