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第120話
菊池の話通り、ホテルのすぐ手前の駐車場に車があった。威圧感のある黒塗りの大きな車だ。運転席には男が座っている。知っている人間かどうかはわからなかった。
広瀬は、菊池と大柄な男に挟まれるように広々とした後部座席に座らされた。
隣に座った菊池が広瀬の目をじっと覗き込んでくる。広瀬の頭の中を探っているような視線だ。広瀬は彼の目をじっと見返した。ひるんだりしたら、自分の中で起こってはいけない何かが起こりそうだった。
車が静かに発進した。夜の街に行き交う車の中を走っていく。
「どこに?」と広瀬は菊池に質問をした。
菊池は微笑を見せるだけで、返事をしなかった。
それよりも、というように握ったままの広瀬の手を自分の顔の前に持ってくる。
指の一本一本、手の甲、手のひらをゆっくりとなぞり、確かめていく。
「広瀬くん、君が見つかってよかった。大事な君がいなくなったと聞いて、わたしがどんな思いをしたか、君にはわからないだろうね」
そう言う菊池の声や動きに、広瀬は恐れを感じていた。彼と一緒にいると、自分の自由がなくなってしまうのではないだろうか。
菊池は言葉を続ける。「日本に戻ってから、必死で君を探したんだよ。実はね、東城さんの家にまで探しに行ったんだ。でも、家は誰もいなくて、東城さん自身も住んでいないみたいだった。君が行きそうな場所は全部行ったのに、見つけられなかった。まさか、君から光森くんに会いに来るとは思ってもみなかったよ。君がわたしに迎えに来て欲しいと言ってくれるなんてね。こんなに嬉しいことはないよ」
指に唇を落とされた。それから、右手の中指に巻かれたおおぶりな絆創膏に気づいた。
「どこで怪我を?」
なでられる。
菊池の唇が触れた指先が固まって、そこから、石になっていきそうだ。浸食されて、全身が硬くなって、動きが取れなくなりそうだ。
「緊張しているね」と菊池は言った。
菊池は、胸ポケットから細長いケースを取り出した。
彼が、中から取り出したのはペン型の注射器だった。押し当てるだけで中から針が出てきて薬剤を注入できるタイプのモノだ。
広瀬は焦って手を菊池から振りほどき、菊池から身体を遠ざけた。
何を、注射する気なのだ、この男は。
だが、横に座っている大柄な男に後ろから身体を捕えられる。
菊池の優し気な口調は変わらない。
「これは、君の緊張を和らげるためだよ。それと、移動中、眠っていて欲しいだけなんだ。身体に悪いものじゃない」
菊池はそう言うと、手を伸ばしてくる。広瀬は、力の限り抵抗した。身体をねじり、足をばたつかせる。大柄な男が力を強め、広瀬を制する。
菊池が、首筋に注射器をあて、ぐっと押してきた。ほとんど刺された感触はなかった。
抵抗できたのはほんの数秒だった。身体の力が抜けていく。頭を支えきれず、ぐらっと傾いた。
さらに、パチンと何かが耳元で鳴った。
聞いたことのある音だ。
広瀬は、その音の正体を知りたくて目を開けようとした。だが、もう、瞼を開けることはできなかった。目の前も暗くなった。
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