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第130話
広瀬は目を動かした。見える範囲で部屋の中を見回す。くらりと視界が揺れたが、そう酷いものではない。そのうち治りそうだ。
広瀬の視線の動きを見て忍沼が言った。
「東城さんはいないよ」
彼を探しているとでも思われたのだろう。
「少しここに来て、あきちゃんの寝てる顔見てたんだけど、菊池の逮捕とか、ほかの仕事とかで、どうしてもここにはいられないって。お母さんの医院にいれば安心だからって、出て行ったよ。あきちゃんがこんな時にそばにいないってどうかと思うけどね。まあ、いても役には立たないけど」とか忍沼が後半は悪口を言っている。
東城は竜崎たちに協力して動いているのだろうか。警視庁に戻ってもいないのに、どんな立場で仕事しているんだろうか。
「それとね、」と言いながら忍沼がポケットに手を入れた。「これ、持ってきたんだ」
そう言いながら差し出したのは、小さな黒いUSBメモリーだった。
「菊池とあきちゃんの会話の録音だよ。ノイズをカットして分析できたんだ。録音はちゃんとできてた」
よかった、と広瀬はUSBメモリーを宝物のように思った。
菊池は自分で犯罪を告白していた。犯罪の証拠になるだろう。
大したことはできなかったが、この音声は菊池を追い詰めることができるはずだ。自分は少しでも役に立つことができるだろう。
「菊池の話を聞いたよ。罪状を証明できないとかなんとか言ってたけど、そんなこと、どうでもいい。あいつが、もしも、自由の身になったら、僕が始末してやるよ。あきちゃんを、あんな目に合わせて」と忍沼は憤っている。「絶対に許さないから」
広瀬は口を開いた。声はかれて小さいが、話はできる。
「音声は、竜崎さんに、渡してください」
「わかった。竜崎さんには必要なところだけ抜き出して渡すね。あきちゃんが頑張って犯罪の証拠をつかんだんだもんね」
「全部、渡してください」
忍沼は少し驚いた顔をした。
「でも」と忍沼は口ごもった。「これ、菊池のしてた話が全部入ってるよ。あいつが、あきちゃんが子供の時にしたことも、アメリカに連れて行った後のことも、なにもかも」
これを証拠として渡したら、色んな人が音声を聞くよ、と忍沼はつづけた。
「あきちゃんに事情を聞いてきて、根掘り葉掘り聞かれることになるよ」
彼は菊池が広瀬を凌辱した話のことを言っているのだ。あの内容を竜崎たちが聞くことを危惧しているのだろう。
あの話が、本当に広瀬の身の上におこったことだと思っているのだろう。
会話を聞くだけではそう思うのは当然だ。
広瀬自身、なにが起こりなにが起こらなかったのかわからないのだ。
でも、自分のことにこだわっている場合ではない。
「かまいません」と広瀬は言った。
意図的に編集した音声では証拠にならないだろう。
忍沼はしばらくためらっていた。だが、広瀬が譲らなかったので、わかった、竜崎に渡す、と言った。
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