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第136話

広瀬は、何も言えなくなってしまった。 確かに、この音声を東城が聞いたら、どんなに嘘だと説明を尽くしても、彼は怒り狂うだろう。広瀬を辱めた人間を許さないだろう。 「広瀬、君の協力に感謝する。これから、橋詰さんの力も借りて、君が告訴されないように手続きをする。菊池は、我々の力で有罪にもちこむ。警察の研究所の研究者が機密情報を持ち出して利用した。他にも偽造パスポートの件もある。それなりの罪に問うつもりだ」と竜崎は言った。その点については自信があるようだった。 広瀬が黙っていると、 「君にとってはそれだけでは不十分かもしれないが、この音声は取り下げて欲しい」と竜崎は言った。それから、しばらく間をおいて彼は続けた。「もちろん、この後も、ずっと、黙っていてほしいとは言わない。時間がたったら、君の好きにするといい」 「時間、ですか」と広瀬は言った。 時間がたったら、とはどれくらいだろうか、と広瀬は思った。 よく、ほとぼりが冷めるまでとか、時間が解決とか言うけれど、それはどれくらいの期間のことなのだろうか。何年とか、何十年とかのことなのか、それとも、一週間とか、一カ月とかのことなのだろうか。 「そうだな」と竜崎は言う。「君が、家に戻って、どこにもいかない、と東城が安心するまで、かな」 「どこにも」 竜崎はうなずいた。「安心させてやってほしい。君が急にいなくなって、東城は変わってしまった。なかなか元通りにはならないだろう。君がいるってことを実感できれば」 そこまで言って、竜崎はまた言葉を切った。言い過ぎたと思ったようだ。 彼は、手で口を押えた。そして、その後の言葉は続けなかった。 そういえば、指輪してない、と広瀬は思った。前は、確か結婚指輪してたのに。何かあったのだろうか。竜崎のことは東城を通してしか知らない。 こんな風に東城のことを心配しているとは思ってもみなかった。 広瀬の確実な返事を待たず、竜崎は病室を後にした。USBメモリーはベッドサイドの机に残されたままだった。

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