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第138話

広瀬は、クローゼットに入っている服に着替えた。 着ていた入院着はたたんでベッドの上に置く。他に片付けるべき私物はない。 確認のため見回すと、ベッドサイドのUSBメモリーが目に入った。 掌にのせ、しばらく考えたが、上着のポケットに入れる。 これをどうしたらいいのかは分からないが、病室に置いて去るわけにはいかない。 ポケットに入れた小さく軽いUSBメモリーは、ずっしりと重い石のように感じられた。隠し事の重みだった。 ベッドの横の椅子に座って待っていると、それほど時間もかからず東城が戻ってきた。 施設のスタッフが後ろからついてきて、今後の検査のことや、当面の家での過ごし方について説明を受けた。 体調に異常を感じたらすぐに連絡するようにと、連絡先が書かれたカードも渡された。 回復したといっても、菊池にうたれた薬が今後どのような作用を及ぼすのかはわからないらしい。無理をしないでください、とスタッフに念を押された。 病室を出て、人気のないエントランスに行く。車寄せには、重厚な黒塗りの大きな車が待っていた。 身だしなみの良い運転手が礼儀正しい物腰でドアを開けてくれる。 この車は、東城が手配したのだろう。 ここから家まではたいした距離でもないし、ただ、夜に家に帰るだけなのに、なんとも大仰な扱いだ。 だけど、そんなところが相変わらずで、かえって広瀬も気持ちは和らいだ。 東城は、広瀬を車の奥へといざなった。車内は広くゆったりとしている。 ドアが閉まり、車は静かにすべりだした。 車の中で、東城は広瀬の肩に手を回し、自分にもたれかけさせた。 彼のがっしりした大きな身体が支えてくれる。 「お前が帰ってくるって石田さんに言ったら、はりきって料理したり、家の中整えてくれてるんだ。明日も朝から来てくれるから、食べたいもの何でも作ってもらえよ」と彼は広瀬に告げた。 広瀬はうなずいた。 「帰ったら飯食って、風呂入って、寝るといい」 まるで、外で遊び疲れた子供に言うように、東城は言った。低い落ち着いた声が、耳の奥に入ってくると、安心してこわばった塊が溶けだしていくようだ。 広瀬が体重をかけると、東城の腕の力が強くなった。自分に引き寄せ、守ろうとしているようだ。 その時、ふと、竜崎の言葉が頭の中で聞こえた。 『君が、家に戻って、どこにもいかない、と東城が安心するまで』 東城を見上げると、彼は窓の外に目を向けていた。広瀬の視線に気づくと、柔らかな眼差しでこちらをむく。 自分がこうしてもたれかかり安心できるのと同じように、東城は、今、安心できているのだろうか。 多分、そうではないのだろう。竜崎が案ずるくらいなのだから。 自分も、東城を安心させて、守らなければ、と広瀬は思った。もう二度とこの人が傷つくようなことがないようにしなければ。 手を伸ばして東城の頬に触れた。急に動いたので彼は少し驚いた顔をした。 「どうした?」 そう聞いてきたので首を伸ばし、そっと、唇を合わせた。

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