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第142話

広瀬は聞いている東城の顔を見ていられず下を向いていた。東城が広瀬の横で微動だにしないのはわかる。 気になってふと顔をあげてみたら、彼も視線は下に落としていた。表情はない。何を聞き、どう考えているのかわからない。 聞いている最中何も言わなかった。何度か、聞き取りにくいのか、音声を戻る操作をして聞いていた。 菊池と広瀬の会話は、自分が思っていたよりも短い時間だった。 聞き終わって、彼は、イヤホンをはずした。 「これで、全部か?」 広瀬はうなずいた。 東城は、唇を噛んだ。時間が過ぎてゆく。 「ひどい話だな」と彼は言った。「子どものころのことまで引き合いに出すとはな」 思っていたより、東城は静かだった。 「でも、これは、お前の言う通り嘘だと思う」と彼は言った。「100%とは言い切れないが、かなりの確率で、嘘だ」自分に言い聞かせているのではない。自信のある口調だった。 理由を聞くのをためらっていると、東城から話してくれた。 「お前と初めて寝た時、お前は男とするの初めてなんだなって思った。もし、子どもの頃の怖い経験あったら、頭の中に記憶はなくても、お前の身体は俺を拒絶したと思う。でも、そんなこと全くなかった」 そう東城は言った。 「それに、俺のところに戻ってきたときも同じだ。正直なこというと、疑ってたんだ。お前が無意識だった時も含めて、他の誰かと寝てたんじゃないかって。でも、それもなかった」 「そんなことが」わかるんだろうか。 「わかるよ」と東城はうなずいた。 そして言った。「お前の身体のことはお前より俺の方がよく知ってる。頭のてっぺんから足の爪の先まで、全部。俺は、お前が見たことのないお前自身を知ってる。その俺が言うんだから、信じて大丈夫」 広瀬は黙っていた。 東城は自信たっぷりに話をする。だけど、それは、広瀬の不安を消すためではないのか。東城は広瀬のためになら、自分の動揺を表さないだろう。 そういう人だ。 「そんなに心配するなよ」と東城は言った。 「俺は、お前のことならなんでも知ってる。好きなバーボンの銘柄も、嫌いな食べ物ないっていってるけど紅ショウガが苦手で、除けてることも」 彼は広瀬の右手をとり、唇にもっていく。「右の中指の先を噛むとすごく感じることも」ゆるく歯をあてられる。上目遣いでじっと広瀬の目を捉える。 「俺のことを愛しているってことも」臆面もなくそんなことを言った。 東城が、さきほど噛んだ手を握り、広瀬に唇をよせてきた。合わさると、中に押し入ってくる。舌も、唇も、息も熱い。広瀬が応じると、舌を絡ませ吸われた。 唇が離れ、耳につたってくる。耳朶を甘噛みされた。 広瀬は、深く息をはいた。 「な。よく知ってるだろ」 耳の奥にささやかれると、身体の奥も熱くなりそうだった。

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