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第157話
ホテルのロビーに隣接したラウンジで東城は広瀬を待っていた。
広瀬が橋詰に呼ばれた時間から、3時間以上はたっている。何度もみた腕時計をまた確認しながら、後1時間くらいたったら、橋詰に電話をかけ、迎えにいくなりなんなり動き出そうと東城は考えていた。
ホテルの瀟洒なラウンジは、自分が着いた頃にはそこそこ混んでいたが、この時間になると人もまばらだ。
そして、いよいよ目安にしていた時間が来た時、広瀬がエレベーターの方から姿を現した。
背筋をピンと伸ばして姿勢よく歩いている。
疲れた様子もなく、いつも通り感情を表してはいない。
視線を周囲に配り、東城がラウンジにいるのを認めるとこちらに向かって来る。
東城も立ち上がり、彼のそばに近づいた。
ホテルを出て、駐車していた自分の車の運転席に乗り込み、走らせ出すと、東城は隣の広瀬に聞いた。
「ずいぶんと長かったな。腹は減ってない?」
広瀬はうなずく。「大丈夫です。橋詰さん、コース料理を用意して下さっていたので」
「どうりで時間かかるはずだな」
橋詰が出す食べ物も飲み物も口にするなと忠告したはずなのに、と東城は内心思った。以前、広瀬の飲み物に得体の知れない薬を入れたことがあるのだ。
だが、恩義のある人が用意したコース料理が運ばれてきたら、広瀬じゃなくても口にしないわけにはいかないだろう。
そう考えなおし、なんで食べたんだよとは責めなかった。言っても喧嘩になるだけだ。
その代わりに東城は質問した。
「オジサンたちのうち誰がいたんだ?」
オジサンたちとは広瀬の父親の友人たちだ。警察庁内や関係省庁、外郭団体で高位についている。彼らは、父親が亡くなった後、広瀬のことを長年サポートしてきた。広瀬はオジサンたちと呼んでいた。今日も、オジサンたちの何人かが来ていると思ったのだ。
だが、広瀬は首を横に振った。「誰も。橋詰さんだけでした」
二人で差し向いで食事をしたというのだ。
「そうか。で、話ってなんだった?」
「菊池のことを教えてもらいました。まだ、取り調べ中ですが、いずれ、保釈されるそうです。彼が情報を売った先の国の組織や接触経路についてかなり証言しているそうです」
「意外と早くに口を割ったんだな」
広瀬は淡々と言葉を続ける。「菊池は、起訴猶予になるか、最悪でも、微罪にとどまるらしいです。実刑にはならないそうです」
口調だけなら聞き逃しそうだったが、内容には驚かされた。
「おい、それは、」
「東城さん、運転中は前を見てください。事故になったら、まずいです」
「わかってる。でも、なんで今からそんな結論になるんだよ。まだ、取り調べ中だろ」
広瀬の口調がわずかに早口になった。「そうです。ですが、菊池との間で取引が行われたのだと思います。橋詰さんは詳細な説明はしてくれませんでした。菊池が持っている情報は、非常に貴重なものらしいです。それと、菊池の進めている研究も」
「人の記憶を変える危ない研究が貴重なのか」
「海外の機関が欲しがるほどには、と橋詰さんが言っていました。菊池は、保釈されたら、国の研究機関で続きを研究するそうです。今度は、あまり自由のない生活だろうということでした。刑務所よりはましでしょうが」
「菊池と警察庁との間の取引なのか?それとも厚労?他のどこか?」
「わかりません。橋詰さんの口ぶりだと、警察庁とは断言できません」広瀬は続ける。「俺にこの件を教えてくれたことだって、特別なことのようです。これ以上はなにも教えてもらえないそうです」
最後の言葉の語尾は小さく、ため息のようだった。
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