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第3話

3  翌朝、俺は会社を休んだ。言いようのない倦怠感と微熱に苛まれたのだ。或いは初めて経験する、数軒先で起きた殺人事件という、過度のストレスのせいかも知れない。  だが事件はそれだけでは終わらなかった。二人の刑事が死体で発見されたのだ。  見つけたのは管理人のおばさんだ。朝、彼女が掃除をするために一階にあるコインランドリーの部屋に入ると、そこは血の海だったそうだ。  具合が悪くなった管理人さんを看病に来ていた、近所の肉屋の奥さんがそう教えてくれた。  だとすれば、この連続殺人鬼はこの近くに、いやこのマンションにいる誰か、なのかも知れない。よく考えてみれば、俺は隣の住人の顔さえ知らない。もちろんお互いがそうなのだ。  そう考えると、気にもしなかった日常のあらゆることが不安に思えてくる。そしてその不安は少しづつ実体を現し始めた。  刑事が二人殺害されたことで、マンションの管理会社も重い腰を持ち上げた。事件前後に留守だった部屋に立ち入りを始めたのだ。  プライバシーという名の無関心が暴かれていく。都会近郊の商業都市という、名ばかりの虚栄が音を立てて崩れて行く……。  その日は朝からずっと廊下が騒がしく、時折廊下からカツカツと革靴で走り回る足音が疲弊した神経を痛めつける。  そして騒ぎは更なる広がりを見せた。  四階の留守宅から死体が出たのだ。その遺体は死後一週間以上が経過しているらしかった。  そして一号室の犬の主人である男性が、マンションから百メートルほど坂を下った川べりで、遺体で発見された。俺は佐伯圭吾という名前をニュースで初めて知った。  これで少なくとも五人もの人が亡くなったことになる。  俺は騒ぎのなか、管理人のおばさんに発見場所を聞き出して現場に行ってみた。だが規制線が張り巡らされ、川に近づくことさえ許されなかった。  もしかするとネットの力を借りられるかも知れない。そう考えて、検索ワードを入力してみる。  日付、地名、川の名称、殺人事件……。 (ヒットした!)  真偽のほどは定かではないが、いくつかの書き込みを見つけた。ここでもまた、プライバシーの存在の希薄さに、寂寞の念を禁じ得なかった。  その書き込みによると、佐伯さんの遺体の周りには複数の人間の足跡と、大型犬と思われる足跡が残されているらしかった。恐らく彼の飼い犬たちのものだろう。  だが管理人のおばさんの話によると、飼い犬たちの行方は分からないままらしい。  佐伯さんの死因はどこを探してみてもわからない。ニュースを見ていても、警察関係者の誰もが死因については明確に応えてはいなかった。  殺人鬼はこのマンションの中にいる。俺はそう確信した。不安は否応無しに恐怖を増大させる。  この騒ぎで初めて顔を合わせた隣人たちは、皆一様に恐怖を口元に滲ませていた。その瞳に露骨な猜疑心を互いに向け合いながら。

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