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第六夜
今日は、母と弟の命日だった。
夜のとばりがすっかりおりて、黒く塗りつぶされた視界を蛍が泳ぐ。
ゆだるような暑さのせいだろうか。夜だというのに、空気が淀 んでいる気がした。
――兄さんが、怖い。
そんなことを思ったのは、これが初めてのことだと思う。
「どうして俺を置いて行ったんだ?」
キャンバスに色を置きながら、兄さんが無表情のまま言う。
四日ものあいだ僕を避けるように生活していた兄さんがやってきたのは、夜十一時をまわった頃。少し強張った表情の兄さんの姿に、僕はそれでも安堵したのだ。
「……忙しそう、だったから」
嫌な汗が背中を伝う。
いたたまれなくなってテーブルの上の麦茶をあおった。
沈黙が落ちる。
終わりを見誤ったひぐらしがカナカナわめいている。
「あの隣にいた男は、友達?」
「……どうして」
それを知ってるの。
朝早くに家を出た兄さんは、相手の女性に会いに行ったのだと聞いていた。毎年欠かさず墓参りをした、今日。
愕然としたけれど、同時にそうだよな、と納得もした。兄さんは、僕の兄じゃなくて、顔も知らない人の夫になる。
それでも一人で居るのは寂しくて、墓地の近くに住む友達を誘った。
集合は、墓地の隣にある寺の前。
兄さんが知っているのは、妙だった。
「今日は約束の日だったのに、すっぽかしちゃったのは謝る。ごめんな」
「……うん」
「でも俺も寂しかったよ。琉、責めないし、怒らないから」
喉がひりつく。
「俺は、その程度の存在だったんだなあ、って」
なんだろう。いろいろなことがおかしい。兄さんはこんなに抑揚のない話し方をする人だっただろうか。怒りを押さえつけているかのような、僕を責めるような、話し方を。
顔がほてって、身体の奥が疼くように熱い。
最近、おかしい。兄さんに会うからだろうか。
頭がぼうっとするのは暑さのせいだけじゃないのかもしれない。
「琉にとって、俺は、何なのかな」
視界が揺れる。
心臓が跳ねる。
息が荒くなる。
犬みたいだ。
そのまま目の前の兄さんが傾いたと思うと、僕は畳の上に倒れ込んでいた。
「あ、れ……ごめん、にい、さ……」
苦しい。何も考えられない。
浴衣の生地が肌をすべると、全身が粟立った。
「あ……?」
無意識のうちに太ももを擦り合わせて身を捩る。
甘く燻った何かが、身体の奥を駆け巡った。
愕然とする。僕の芯は、熱を持って屹立していた。
「ああ、可哀想に」
上から降ってくる兄さんの声が、大きい。驚いて身体が跳ねた。
「ご、め……今日、へん、で……」
「……大丈夫」
そろ、と頬を撫でられる。
冷たい、兄さんの手。
それだけで、熱をため込んだ僕自身から、とくり、先走りが溢れた。
「っ、――ごめ、あの、もう、帰って……」
「なんで?」
「なんで、も」
頭が、おかしい。
気づかれたらどうしよう。恥ずかしくてたまらなくて、ぎゅうっと目を閉じる。
兄さんが小さく笑った。
「つらそうだ。ごめんな、すぐに終わるよ」
頬を、首を伝って下りてきた兄さんの手が、浴衣の袷をはだける。するりと忍び込んできた指先が、僕の胸の尖りを転がして――押しつぶした。
「――んッ……⁉」
のけぞった。
剥き出しの素足が、畳を蹴る。軽く達したのに、快楽の波が収まる気配はない。
軽蔑されたくなかった。
浅ましくみだれた僕を、見ないでほしい。
顔を覆った指の隙間から、歪んでぶれた兄さんの輪郭がのぞく。顔を見られたくないのに、見たい、と思ってしまう。
「……これ、何?」
「あ……それは」
兄さんがつまみあげたのは、古びた指輪のついたペンダントだった。
僕は慌てて兄さんの手からそれを奪った。
「だめ、これは、宝物だから……!」
「……そっか。大事なものなんだな。男から?」
冷たさをはらんだ声で言いながら、兄さんが僕の胸に手を滑らせる。
「ああ、ごめん、なさ、い……!」
何を言っているのか、何をされているのかよくわからなくなる。
ごめんなさい。
おかしくて。
気持ちよくて。
恋をして、ごめんなさい。
混乱して謝りだした僕の頭を、兄さんがそっと撫でた。そんな優しさにさえ感じてしまう体が呪わしい。
ぐす、と鼻を鳴らした僕の視界を、突然、何か、柔らかい布が覆い隠す。頭の後ろで、きゅっと結ばれたのが分かった。
「誰か、他の好きな人のことでも、考えておいて」
「へ……、あぁっ⁉」
言葉を理解する前に、浴衣の裾を割って忍び入ってきた手に、意識を持っていかれる。何度か太ももを撫でさすった手のひらが、すっかり起ち上がった僕を、下着越しに、緩く、なぞる。
「あ、や……」
ふるふると首を振って悶えた。
力強い指先は、僕の形を確かめるように絡みつく。
そのまま、直に触れられる。あふれた雫を塗りこめながら、緩急をつけて上下に扱 かれると、びくびくと全身が震えた。
「あ、あぁあ、だめ、あぁ……!」
達し続けている。やり場のない強烈な絶頂に、無様に喘いだ。開いたままの口から、涎がこぼれ落ちる。
吐精した時の快感の波が、何度もやってきて已まない。
兄さんの荒い息が聞こえる。
好きな人って、そんなの、兄さんしかいないのに。
僕を抱き込むように胸に差し入れられた兄さんの腕を、ぎゅ、っと掴んだ。
僕が好きなのは、あなただけ。
それをどうか、わかって欲しくて。
「は、あう、にいさ、すき……!」
「……っ⁉」
「んん、兄さんが、す、き、で……ひっ、ぁあああ!」
敏感な鈴口をえぐられて、ひと際大きな波が襲い来る。腰ががくがく震えた。
責め苦が済むまでどれぐらい時間がたったのか、達したのか。
意識が、何度も白く飛んだ。
兄さんは、一言も話さなかった。それが怖くて不安で、喘ぎながら、すすり泣ていた。
しゅるり、と音をたてて、視界が明るさを取り戻す。
「おやすみ、琉――ごめんな」
意識を手放す直前に、僕は見た。
蛍火の中。
キャンバスに描かれた僕の姿だけが、ぐちゃぐちゃに、黒く塗りつぶされているのを。
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