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「帰省」33
「俺は先輩を信じてますから……」
軽く唇が触れ合い、スッと離れていく。余韻に浸ってる暇もなく、部屋の外から「智代」と神近くんの名を呼ぶ男性の声が聞こえ、心臓が跳ね上がった。
「父に呼ばれているので、神社に行ってきます。先輩は迷子にならない程度に散歩でも行って暇つぶしてください。終わったら連絡するので」
呆然としている僕を残し、神近くんは立ち上がると襖を開く。
「父さんが探してたよ」
そこにはお兄さんが立っていて、爽やかな笑顔を神近くんに向けてる。
「……分かってる」
対照的に神近くんの表情は険しく、お兄さんの横をすり抜けて部屋を出て行ってしまう。残されたお兄さんは僕に視線を向けると肩を竦めた。
「午後って言ってたけど、早めに仕事を終わらせてきたんだ。もしかしたら、帰っちゃうんじゃないかって思ってね」
お兄さんは悪戯っぽい笑みを浮かべ、襖に体を凭れかける。
「……わざわざ、ありがとうございます」
そこまでしてくれなくても……と思ったけれど、さすがに口には出来ない。
「智代はしばらく戻ってこないと思うから、安心して良いよ。僕から父さんにお願いしたんだ。佐渡くんと話がしたいからって」
浮かない表情の僕をお兄さんはどう思ったのか、そんな事を笑顔で言ってくる。何かがオカシイ。普通、弟の悪い話をそんな手を回してまで、友達に伝えようとするだろうか。僕が聞きたいからというよりも、お兄さんが話したいからという趣旨にしか思えない。
「僕の部屋に行こう」
そう言ってお兄さんは僕を部屋から出るように促してくる。不信感は拭えない。でもここで、やっぱりいいですとは言えなかった。仕事を切り上げ、お父さんに根回しまでさせておいて、断るのはさすがに気が引けてしまう。
神近くんの信じてますという言葉が脳裏に浮かぶも、僕は静かに腰を上げたのだった。
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