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第30話
優しい手が僕の髪を撫でた。
「………葵…」
僕の名前を呼ぶ、少し低めの声。
女の子みたいで苦手なこの名前も……彼に呼ばれるときは特別な響きに変わる。
もっと呼んでほしい……
また、髪を撫でる。何度も…何度も…
どこか言葉が足りなくて、そっけないとこがあるけれど、僕に触れる手はいつだって優しい。
好きって言ってくれなくても……いいんだ。
お願い……もう少しだけ、そばにいて……
「─────先輩?」
気がつくと、目の前にはいつもの天井。
ああ、僕、また眠っていたんだ……
横を向くと、真っ暗な自分の部屋……そこには、誰もいなかった。
あれ?
どうして誰もいないの?
さっき、先輩が来てくれて……たくさん想いをぶつけて……先輩が僕に「好き」って言ってくれて……手だって握ってくれたのに……
「………嘘……全部、夢…?」
そう気づいたら、じわじわと涙があふれてきた。
せっかく幸せになれたと思ったのに……これからはずっと、先輩と一緒にいられると思ったのに……
あんなに苦しい思いをして、それでもすべてはただの夢だったんだ。
「………ふぇ……ひっく……先ぱ……い……」
悲しくて悲しくて、どうしようもなくて嗚咽がこぼれる。
……ああ……やっぱり僕は、一人なんだ……
あふれてくる涙を手のひらで拭っていると……
「─────んあー……何だ…?」
「─────っっっ!!?」
ベッドの横からむくっと上半身が起き上がって、僕のほうを向いた。
びっくりしつつも、目を凝らして見てみると……
「………先輩?」
ベッドの横で寝ていたのは、先輩だった。
……高さに違いがあったから、ベッドの上からは見えなかったみたいだ。
先輩はふわわわっと大きな欠伸をすると、僕のおでこに手を当てた。
「んー?だいぶ熱下がったか?……汗かいてるし、着替えるか」
そののん気な声が嬉しくって…
「─────うわっ!?」
……僕は思わず先輩に抱きついた。
「おいおい、どうした?怖い夢でも見たか?」
……違う。怖い夢はもう見てない。
どこまでいっても一人ぼっちの孤独な夢は、きっともう見ることはない。
「……ほら、離してもう寝るぞ?こんなことしてると、風邪治んねーぞ?」
そう先輩は言うけれど、僕には少しも離れる気はなくて……もう少しこうしていたい。
いつまでたっても返事をしない僕にあきれたのか、先輩はため息をついた。
それにはっとして、手を離そうとすると……先輩は僕の体をぐいっと持ち上げてベッドの端へ動かし、空いたスペースに潜り込んだ。
そして、さっきよりぎゅっと、僕の体を抱きしめてくれた。
「……あー…あったかい……最初からこうやって寝ればよかったな……」
僕の髪に頬をぐりぐりとさせながら、先輩が言う。
体が溶け合って、二人が一つになったみたいで、何だか満たされる……
とっても幸せな気持ちで……こんな幸せをくれる先輩が愛しくて……「好き」と言おうとしたけど、言えなかった。
「………葵……好きだよ……」
先輩が僕の耳元で、先に囁いてくれたから……
end
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