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食べる 第1話
終業後、会社近くのATMに駆け込むと、自分の口座から何人かの諭吉たちを引き出した。
財布にしまうとほっとする。持ち合わせが全くなかったわけではないが、今日は葵のリクエストに、何でもこたえてやろうと思っているから……フランス料理のフルコースだろうが、回らない寿司だろうが、ステーキだろうが、これなら葵が食べたいというものを、何でもご馳走してやれる。
きっと、喜んでくれるはず。
嬉しそうに笑ってくれるに違いないんだ。
そう思うと顔がにやけそうになるが、でれでれしている場合ではない。そろそろ待ち合わせ場所に移動した方がいいだろう。
ATMコーナーの出口から街へ戻ると、駅に向かって急いだ。
葵からメールが届いたのは昨日の夜のことだった。
『風邪、ようやく治ったみたいです。
会いたいです。
明日ご飯でも食べに行きませんか?』
缶ビール片手にぼんやりテレビを見ていた俺は、メールの画面を目にすると、思わず缶を倒してしまった。
わわっとあわてて缶をおこし、こぼしたビールを拭きながらも、メールをちらちらと見直してしまう。
気になってしまうのも仕方がない……あんなに自分から連絡をとることを恐れていた葵が、2年も俺の誘いを待ち続けてばかりだった葵が、『会いたい』と自分から誘ってくれたのだから。
……俺のこと、自分から誘えるようになったんだな。
このメール送るのに、きっとたくさん悩んだだろう……それにきっと、顔を真っ赤にしながら送ったに違いない。
にやけた顔になっている自覚はあるが、ここは俺の家で他には誰もいない……電話ならあいつにこの顔を見られることもない。
……早く返事をしてやらなきゃな。
缶に残っていたビールを飲み干すと、だらしない顔はそのままに、俺は葵の携帯に電話をかけたのだった。
今日の葵は早番だそうで。仕事が終わったらうちの会社近くの駅までくることになっている。
時計を見ると、もうすでに着いている頃だ。
───足を速めて角を曲がると、最寄りの駅が見えてきた。
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