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第6話

……大人になるにつれて、走る機会ってなくなっていくと思う。走らなくなると、体力……特に持久力って落ちるよな… まあつまり、葵のアパートにたどり着くころにはすっかり息も上がってしまい、脇腹が痛い……汗だくになっていた。 そういえば前に看病に来た時も急いで来たけれど、今回はそれ以上に全力で走ったから、前回以上にくたくただ。 こんな劣化しまくっている俺を見られるのはさすがに嫌で、無駄に深呼吸を繰り返す。 それから、スーツのポケットからハンカチを取り出すと、額を流れる汗を拭いた。 ───よし。これで大丈夫。 もう一度深呼吸をすると、インターホンを押した。 ───ピンポーン…… 高めの電子音が響く。するとすぐに、部屋の中からパタパタと音がした。 ガチャっとドアが開くと……中からエプロン姿の葵が現れた。 「………いらっしゃい」 そう言ってドアを大きく開いた。恥ずかしそうに伏せた瞳は少し赤くて、胸がちくっと痛む。 「……よう…」と挨拶にもならないような挨拶をして玄関に入ると、魚を焼く匂いがした。 「どうぞ、上がって?かばんはこっちに…」 そう言いながら葵は両手を差し出したが……俺は手にしていたビジネスバッグを渡さずに床へ置くと、両手を広げた。 「………え?」 きょとんとした顔の葵は、俺の手と床のバッグとを交互に見る……意味が分からないらしい。まったく。 「───願い事、叶えるって言っただろ?ほら……ただいまのぎゅー」 「──────っっっ!!!」 途端、葵は顔を真っ赤にした。ようやく意味が分かったらしい。 だが、固まってしまってこちらに飛び込んではこない。 「願い事、叶えなくていいのか?」 あんまりにもかわいい反応だったので、ちょっといじわるを言ってみる。すると… 「───だめっ」 小さい声とともに、ぽふっと葵が俺の胸に飛び込んできた。 葵の背中に腕を回すと、眼鏡のことはお構いなしに顔を俺の肩にぎゅうぎゅうと押し付けてくる。 よしよし、と背中を撫でてやる。 同じ男なのに、どうしてこんなにこいつはかわいいのだろう……女の子のように柔らかくはないが、俺の腕の中にすっぽりおさまるくらい小さくて、でもなぜか判で押したかのようにぴったりと重なるんだ。 すんすん、と小さく葵が鼻をすする。 「……先輩…ここまで走ってきたの?」 「うん……わりぃ。汗臭かったか?」 「ううん。先輩の匂い、好き…」 ───な?やっぱり小悪魔だわ。 何かってーと、俺を煽るんだ。 俺も葵の匂いを……というか葵を堪能しようかと、背中に添えた手を腰より下へと滑らせたとき… ぐうううううううううううう 二人、顔を見合わせた。 「───わりぃ……腹減ってて…」 性欲より食欲が勝ってしまった俺に、葵はぷっと噴き出すと、そっと身体を離した。 「……もうすぐご飯ができるとこだよ。手を洗って待っててね」 ばつが悪い俺に向かって、葵はふんわりと微笑んでそう言ってくれた。

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