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第9話

───ええっ!?何で泣いてんの!? また、俺が泣かせたのか? 慌てて立ち上がると、葵の横に移動する。顔を覗き込むと、口をぱくぱく動かすが声にもなってない。 ……ティッシュ、ティッシュ! 隣の部屋からもってきたティッシュを箱ごと差し出すと、数枚とって鼻をかんだ。いやいや、それだけじゃなくて… 俺もティッシュを箱からとると、頬を流れたままの涙をそっと拭いてやる。 あんなに嬉しそうにしていた顔が……涙でぼろぼろだ。 さっきまで座っていた椅子を葵の横に動かすと、腰を下ろしてから優しく優しく頭を撫でた。 「頭を撫でてほしい」という願い事のひとつは、こうして叶ってしまった……こういう叶え方は、不本意なんだけどな。 ……俺、何か嫌なこと言ったかな。 急に泣きだされて、正直俺も動揺している。 おいしい食事に会話も弾んで、葵だって幸せそうだったと思うんだが……一体何を話してたっけ…… 何度も何度も手を動かしながら、記憶を甦らせていくと……ああ、そうだ。 「……悪い……俺が『嫁』とか、言ったからだろ?」 思い当たるのは、これしかなかった。 料理上手で、言動がかわいくて、自分より小さくて……まあ夜も、その……俺を受け入れてもらってるわけだし…? で、俺自身は何のためらいもなく「嫁に来れば」なんて軽く言ってしまったけれど……葵だって男なんだし、女扱いされたようで嫌だったのかも… それとも、女と比べられたような気になった、とか? とにかく、どう捉えたにしても、不快だったのは間違いないのだろう……こんなに泣いているんだから…… 「嫌、だったんだろ…?ごめんな…」 葵は葵だし、男だろうが女だろうが関係なく、一緒にいたいんだけど……こんな鈍感な俺のこと、嫌になってないか? 不安になってきて、思わず顔を覗き込むと、葵はふるふると首を横に振った。 「………ちが……ちが、う……いや、じゃ……な……」 ───いいんだよ、無理しなくて!もうこの話は終わりな!……なんて言って、ろくに葵の話も聞かずに、自分の都合を押し付けてうやむやにする───それがこれまでの俺。 今だって思わずそうしようとしかけたけど……でも、それじゃダメだってもう分かっている。 葵には葵の言い分があるはずだ。 それを聞くのが恋人の役割……そう考えたら、きっとこんなときうまく立ち回れるのであろう同僚の顔が、すっと浮かんだ。 ……そうなんだろ?……お前ならきっと、そうするんだろ?長谷川…… 葵はしゃくり上げながら、途切れ途切れになりながら、一生懸命言葉を紡ぐ。 「……あの、ね……ぼ…く……うれ、し……かった…の……」 「………嬉しい?」 問い返した俺に、葵が頷く。 「……だ…て……お嫁…さ……なら……ずっと…い、しょに…いれる…でしょ…?」 ……ああ…何だ… 葵の言葉に、苦しかった胸が少しおさまる。 嫌だったんじゃなかったのか……嬉しかったのか…… ほっとした俺の脳裏に、あの日の長谷川の様子がぱっと浮かんだ。 『何があろうと一生一緒にいる覚悟ができたから』 俺が風邪をひいて……おかげで葵と再会できたあの日……長谷川は俺たち二人に向かってそう言った。 あのとき、葵は高瀬君のこと、優しい目で見ていたけれど……けどきっと本当は、うらやましかったのかもしれない。 俺が、きっぱりと覚悟を示せる長谷川のことを、うらやましいと思ったように… だから、「嫁」という言葉にこんなにも揺れて、心が動いたんだ。 「……葵……俺、口下手だからうまく言えないけど…」 「……………」 「先のこと、考えるときにさ……俺の横にいるのはいつも、お前なんだ…」 「……………」 「こんな、意地っ張りで、口が悪くて、愛想も悪くて……全然いいとこない俺だけどさ…ずっと一緒にいてくれよ…」 「……………」 「こんな俺のこと、好きになってくれるのはさ……お前以外いないんだよ…」 「……………」 「………葵?」 「……………」 長谷川の覚悟には遠く及ばない。 かっこつけようにも、かっこつかない俺。 絶対、今、顔が赤くなってる。 本当、もういい加減に葵に愛想つかされても文句は言えないな… でも、それでも一緒にいて欲しいんだ。 ……ずっと黙ったままの葵の言葉を、うつむいて粛々と待っていると……葵の両手が俺の頬に差し伸べられた。 ───え? 顔を上げた俺に、葵はぱっと花が咲いたようなほれぼれとする笑顔を浮かべると…… 「───っ!!?痛っっってぇぇぇ!!!!!」 ……俺の両方の頬っぺたをつまんで、左右に引っ張ってくれやがった!

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