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第10話

こいつ、さっきまであんなに泣いてたくせに、何でこんなに力があるんだよ! 葵が手を離すとすぐ、俺は両手で頬を押さえ、「くぅー…」と呻いた。 ちょっと涙目になりつつ葵を睨むと、ぷうっと頬を膨らませて怒ってる……って、んなの怖くないし! なんだよ、これ。この前の仕返しか!? この間つまんでやったこと、密かに根にもってたな、こいつ! 「───お前!人が真剣に話してるってのに、何してんだよ!」 「だって、馬鹿にしたから!」 「馬鹿になんかしてないだろ!?俺は真剣に…」 「馬鹿にしたよ!僕の大事な人のこと、馬鹿にした!」 「………は?」 ……意味が分からない。 めずらしく俺に食って掛かってくるなあ……と思ったら、またもや目に涙をためはじめた。 「先輩に『いいとこない』なんて、違うもん!先輩はそっけないふりしてるけど、いつだって僕に優しくしてくれるもん!」 「……そんなことねーよ…」 優しいとか、俺とは全く縁のない言葉だ。 勘違いしてるとしか思えない。 「何でそう思うの!?僕が困ってるときは、絶対助けてくれるじゃない!確かに言葉は荒いけど、でも嘘とかついたことないよ!約束したことは必ず守ってくれるもん!愛想だって悪くないし!先輩が笑ってる顔見ると、いつも僕、ドキドキするんだから!」 ぽろぽろと涙をこぼしながら、葵は必死な顔で俺に伝えてくる。 葵の思う、俺のいいところ… こんな欠陥だらけの男のこと……葵は褒めてくれる。 本当に俺にはもったいないやつだよ……なんて言うと、怒られるだろうけど。 右手を伸ばして、葵の頬を伝う涙をぬぐってやると、葵は自分の左手を上から重ねた。 「……ほら、優しい……先輩の手も好き……ぽかぽかして……おっきくて……安心する…」 そう言って、俺の右手に頬ずりした。 「だからね……自分のこと、悪く言わないで?僕は、先輩が先輩だから好きなの……不器用なところも、かたくななところも、全部好き……だから、もっと自分のことも、好きになってよ…」 自分の想いを伝えきると、葵は自分の右手と俺の左手、自分の左手と俺の右手を繋いで、少し照れながらも微笑んだ。 これも「願い事」のひとつかな…? だったら叶えてやんなきゃな… 「………分かった。努力する。努力するけど……そんなに簡単には変われそうにないから…」 葵が握ってくれた手を、俺からもぎゅっと掴むと、しっかりと目を見ながら言う。 「これからもずっとそばにいて、今みたいに俺のこと、励ましてくれよ。そしたら俺、頑張れるから」 守ってやるとか幸せにするとか……本当はそんな言葉を伝えるのがふさわしいとは分かっているが、そんな大それたことは言えそうにない。 でも、お前がずっと一緒にいてくれたなら、俺はどんなことでも頑張れる気がするんだ。 「……………これから、ずっと?」 「ずっと」 「……………ずっと、そばにいてもいいの?」 「ああ。そばにいてくれ」 「……………結構、僕……しつこいよ?」 「俺も十分しつこいから、平気だろ」 葵が嬉しそうに笑ったので、俺も一緒に笑った。 笑いながら葵をぎゅっと胸に抱きこむと、葵も手を背中に回してぎゅっと抱きかえしてくれた。 こうしてこの日俺は、一番大事な宝物が、これからもずっとそばにいてくれることを、確かめることができたのだった。 それから二人で、すっかり冷めてしまった夕食を温めなおしてから食べた。 食後は並んでテレビを見ながら、何でもないことをとりとめもなくしゃべっては、笑いあい…… その後、葵はひとりで風呂に入って――残念ながらやっぱり一緒に風呂は拒まれてしまった───俺はというと、先にひとりベッドに転がって、ぼんやり天井を見ていた。 最初はちょっと飲んで帰ろうかと思っていただけなのに、気づけば想像もしていなかったこの展開… まさか葵にプロポーズめいたことをすることになるとは……何が起こるか分からないな、人生って。 そんなことをあれこれと考えていたら、すっ……と目の前が陰った。 「───先輩、もう寝たの?」 風呂上がりの葵が俺の顔を覗きこんだ。 「……いや、起きてるよ」 返事をしながら右手を葵の後頭部に回す。 ドライヤーで乾かしたはずの髪は少し湿っていて……急いで部屋に戻ってきたのが分かって、何だかくすぐったい。 そのままそっと葵の顔を引き寄せると、触れるだけのキスをした。 ……柔らかい感触。 葵は幸せそうに微笑むと、俺の口唇をかわいい舌でペロッと舐めた。 それにこたえて少し口を開けてやると、葵の舌が潜り込んでくる。 この前久しぶりに身体を繋げることができたおかげか、少し積極的になった気がして何だか嬉しい。 舌を絡め、唾液をすすりながら、葵の髪や耳の後ろを撫でてやる。 息苦しくなってきたのか、気持ちよくなりすぎたのか……葵は俺の肩を押して、ゆっくりと顔を離してから言った。 「………今日は、『しない』からね…」 明日も仕事なんだからと、真っ赤な顔で俺を牽制してくるが……誰が一番キスに夢中になってたんだかな? 苦笑しながら身体を壁側にずらすと、葵のためのスペースを作る。 いそいそと潜り込んだ葵を抱き込むと、ほんのりとシャンプーの匂いがした。 「……お前さ……一番得意な料理って何?」 お世辞抜きで本当にどの料理もうまかった。 得意料理ならもっとうまいんだろうな……ちょっと食べてみたい。 「…………ハンバーグ」 「ホントに?それ、俺の好物だわ」 今日のメニュー見て、和食が得意なのかと思ったら、ハンバーグか!食べてみてーなー… また今度……とねだろうとしたら、葵が顔を伏せて小さな声で言った。 「───知ってる……だから、特訓したの…」 ───あーもー……何でこいつは俺を煽ることしかしないのかね… そんなかわいいこと言われたら、理性を保つのが大変なんだけど! ……明日は仕事…… ……明日は仕事…… 呪文のように、心の中で唱えておく……よし。 「じゃあ、次の休みには得意のハンバーグ、作ってくれよ」 「え?食べに来てくれるの!?」 そんな当たり前のことに喜んだ葵は、俺の胸にぎゅうぎゅうしがみつくと、「……嬉しい」と呟いた。 風呂から上がったばかりの葵の身体はいつもより温かくて、触れてるそばから癒されるようだった。 しばらくその感触を味わっていると… 「………葵?」 ぴたっと動かなくなったと思ったら、すーすーとかわいい寝息が聞こえてきた。どうやら眠ってしまったようだ。 毛布をしっかり掛けなおすと、柔らかい髪をそっと撫でた。 「………おやすみ、葵」 枕元においてあったリモコンでライトを消すと、俺も静かに目を閉じた… 「…………………あ、しまった」 もう少しで眠りにつくという瞬間、はっと思い出した。 そういえば、願い事、全部叶え終わってない気がする……葵の願い事といえば、何だっけ? 「会いたい」に「ぎゅってしてもらいたい」……「頭を撫でてほしい」だろ? 「一緒にお風呂入りたい」はまた今度だから、あとは…… ………「また好きって言ってほしい」、だ。 「………葵………葵……」 急いで言わなければと、そっと肩を揺らして名前を呼ぶが目は覚めない……すっかり寝入ってしまったようだ。 こればかりは仕方ない……無理に起こすのもかわいそうだし……また今度言おう。 もう一度しっかり葵を自分の胸に抱き込むと、聞こえてはいないだろうけれど、眠っている葵にそっと呟いた。 「……葵……好きだよ……」 ……明日は…ちゃんと……言おう………ちゃんと………… うとうとと眠りにおちていった俺は、腕の中で葵が顔を赤くしていることに、とうとう最後まで気づかなかった…… end

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