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第3話

次の週の水曜日。僕は住宅街に建つ一軒家の前に立った。 庭先には綺麗に寒椿が咲いている。この花が小さいころから大好きで……寒い季節は苦手だけれど、椿の咲くさまを見るのは、そんな冬の数少ない楽しみの一つだった。 ……もしかしたら、この花を見るのは今日が最後かもしれない。 小さく一つ深呼吸をした。 今日、僕は母さんに秘密を打ち明けるつもりだ。 今まで内緒にしてきた、先輩のこと……同性同士で付き合っていることを。 昨日は先輩が泊まりに来てくれたけど、今日のことは言えなかった… 久しぶりにふたり繋がって……体は疲れているのに、心は緊張したまま眠れなくって……情けない…… 椿はひらひらと花弁が散るのではなく、花ごとぼとりと落ちるさまが、潔くて好きだ。 僕も今日はこの寒椿のように、潔くありたい。 「───よし!」 心を決めると、門扉に手をかけた。 「ただいま!」 玄関のドアを開けて中に入ると、奥からばたばたという音が聞こえる。 靴を脱いで一段上がり、マットの上に置かれていたスリッパに履き替えると…… 「にいちゃん、おかえりー!!!」 小さな塊がふたつ、ぽふっと僕のおなかの辺りに飛びついてきた。 「あれー、光も薫も遊びに来てたの?何だかまた大きくなったねー」 嬉しそうににこにこ見上げてくる二人は双子で、二番目の姉・藤の子どもだ。「光」が男の子で「薫」が女の子。 今日は母さんだけでなく、姉も一人実家に帰ってきているのだ。 「ひかるー!かおるー!葵兄ちゃん困ってるでしょー?後で遊んでくれるから、しばらくは二人で遊んでてー!」 「「……はーい!!」」 台所から大きな声が聞こえると、やんちゃな二人は声をそろえて返事をし、またばたばたと走っていった。 ………さて。 台所の引き戸を開けて中を覗くと… 「おかえり、葵」 いつもと変わらぬ笑顔の母さんと姉さんが、お茶の準備をしながら僕を迎えてくれた。 「……ただいま。これ、ケーキ買ってきたよ」 この前悠希君と一緒に行った、カフェのケーキをテイクアウトしてきた。 ……重い話になると思うから、せめて少しでも場をなごませようと思って… 藤姉──僕は下の姉のことは『ふじねえ』上の姉の桐のことは『きりねえ』と呼んでいる──は「気が利くわね」と嬉しそうに言って、ケーキの箱を受け取った。 ……よかった。少しは喜んでもらえたみたい。 すると母さんは僕のそばに来て、顔を覗き込んだ。 「わざわざケーキなんて買ってくるってことは、やっぱり深刻な話でもするつもりなのねぇ」 「───へ?」 「電話の声も何だか神妙な声だったし……きっと悩みごとがあってくるんだろうって、藤と話してたところだったのよ」 「……………」 「……母さんは葵のこと、何でも分かるんだよ。っていうか、私たち姉弟のことは何でもかな?」 藤姉はそう言って笑ったけれど、僕はそれどころじゃなくなってしまった……何だかお見通しみたいで……一体何から話せばいいのか、分からなくなったから… 「………あ……あの……」 「葵がこんなに思い詰めるってことは……あの人のことでしょ?───で、とうとう決着がついたわけ?」 「……決着って……葵は藤と違って一途で優しい子だから、そう簡単には気持ちを切り替えたりできないのよ。だから2年も悩んでたんだし…」 「だって、こんなに可愛いのに2年もほっとかれてるんだよ!葵の好きな相手じゃなかったら、私と桐とで殴りにでも行ってるとこだし!」 「……え?……え?」 「でも、あの『先輩クン』は葵が選んだ相手なんだから。奥手なこの子が初めて、本気で好きになった人なんだから、いい人なんだと思うけどね」 「いい人が、2年も恋人をほっとく!?無神経にもほどがあるでしょ!っていうかそんなやつ、やっぱりただのヘタレでしょ!」 「……え?……ヘタ……え?」 「母さん、やっぱり桐姉も呼ぼう!んで、その先輩とやらを呼び出して、葵のことどう思ってるのか、どうするつもりなのか、聞いてやろうよ!」 「………もう……相変わらず、暴走すると止まらないわねぇ……桐だって今日は仕事なのに…」 「可愛い弟の一大事なんだから仕事なんてどうでもいいのよ!───葵!葵も携帯貸して!そいつ呼び出すから!」 「……え?……え!?……えー!?」 何? 何、この状況!? 一体どうなってるの!?………すると。 ───ガチャ! 「「あ──────!!!ケーキのはこだあ──────!!!」」 台所に入ってきた双子が藤姉の手にしたケーキの箱を見て大きな声を上げた。 そのままバタバタと走ってくると、「ケーキ!ケーキ!」の大合唱! まとわりつかれた藤姉は「行儀よくしなさい!!」と大きな雷を落としまくり…… で、僕は僕で頭の中はパニックで…… ───何だ、この地獄絵図は…… ……あれ? ……何だろう、くらくらしてきた。 ふらふらしていると、火にかけたままだった薬缶がピー!とけたたましい音を立てた……ところで、僕は意識を失った。

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