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第4話
「………あ、あの………あのね…」
「え…っと……あれ?……今日、会う約束はしてないよな?」
「………うん」
「だよな……してないよな………まいったな……」
「……………」
困った顔でそう言った先輩は、右手でがしがしと頭をかいた。
───やっぱり、急に来るなんてマナー違反だった?
もし先輩がこんなふうに急に僕の家にやって来たとしても、僕は嬉しい。
約束してなかったのに、会える日じゃなかったのに、一緒にいられるなんてすごくラッキーだ、って思う。
だからこうして家を訪ねることに、何のためらいもなかったんだ。
でも、先輩はそうじゃないみたい……でも、そんなの、よく考えたら当然だ。
恋人だからって、何もかも同じ気持ちでいるなんてこと、あるわけない。
先輩よりも僕のほうがずっとずっと「好き」なんだから、先輩も僕と同じように「いつでも会いに来てほしい」なんて、思っているはずがないんだ。
そんな当たり前のことに、ようやく気づいて……何だか寂しいような、苦しいような気持ちになって……もう、チョコを渡すどころじゃない。
───帰ろう。
これ以上、先輩に迷惑をかけたくない。
ぐっと口唇を噛んで気持ちを抑えこむと、そっと一歩後ろに下がった。
『ごめんなさい、もう帰ります』と……そう言おうと口を開いたとき、先輩が僕より先に尋ねてきた。
「葵、今、仕事帰りだよな?まだ、メシ、食ってないんじゃねーの?」
「え?……うん。職場からまっすぐここに来たから…」
……ご飯?
今、夕食のことなんて、どうでもいいんだけれど…
「だよなー……この時間ならそうだよなー……まいったなあ…」
先輩は、またがしがしと頭をかく……一体何が「まいった」なの?
僕、それどころじゃあないんだけれど……
「葵が来るなんて思ってもなかったからさ……今、買ってきた弁当食べたとこなんだよ……お前、腹減ってるだろ?コンビニにでも、何か買いに行くか?」
「へ?………ううん、もう夜遅いし……いいよ」
「だよなー……いつものラーメン屋も、そろそろ閉まるだろうしなあ……来るって分かってたなら、二人分買ったんだけど…」
しまったなぁ……って顔をして、先輩はため息をついた。
いや、でも……僕きっと緊張しすぎて、今は何にも食べられないと思うし…
「ご飯は食べなくても大丈夫……あんまり、おなかすいてないから……」
「いや、ダメだろっ。1日働いてたんだし、ちゃんと食わねーと……確か、カップ麺ぐらいなら買い置きがあったはずだけど…」
そう言って僕の手を掴むと「とりあえず寒いから、中入れよ」と玄関の中に引き入れた。
先輩はすたすたと部屋へ入って行くけれど……僕は玄関に立ったまま。
中に入っていいのかな……迷惑、じゃ…ないのかな…
靴も脱げないまま立ちつくしてしまった僕。
……どうしよう……やっぱり、帰ろうかな…
そうやってもたもたしているうちに、カップ麺を手にした先輩が玄関に戻ってきた。
「やっぱ、一個だけ買い置きが残ってたわ。今、湯を沸かしてるから───って、お前、そこで何してんの?早く上がれば?」
ドアの前に立ったままの僕を見て、先輩はびっくりした様子で言った。
「………でも…」
「でも?」
「僕、上がっていいの?」
邪魔じゃない?
迷惑かけてない?
本当は、帰ってほしいんじゃない?
不安で不安でしかたなくて……確かめたくて仕方がないんだ。
「上がっていいのって……お前、玄関でラーメン食うつもりなの?」
「……………」
「あー…やっぱり、外に食べに行きたかった、とか?」
「………ううん、違う」
「何だよ、変なやつだなあ―――ほら、早く来いよ」
先輩は僕のそばまで来ると、わしゃわしゃと頭を撫でた。それから、今日も巻いている先輩からもらったマフラーの端を掴んで、くいくいっと引っ張ると……柔らかく微笑んだ。
─────あ……何だか、嬉しそう…
マフラーを巻いている……ただそれだけのことなのに、すごく嬉しそうに……すごく幸せそうに笑うから……
そんな先輩の表情に背中を押されて…僕はようやく靴を脱ぎ、部屋に上がることができた。
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