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第7話

僕が夕飯を食べ終わると先輩は「先に風呂に入ってくる」と、部屋を出て行った。 浴室の方からシャワーの音が聞こえるようになってから、僕はバッグからチョコの箱を取り出してこたつの上に置いた。 あげるつもりだったけど……どうしよう。どうしたらいいんだろう。 『本当にめんどくさい』 『バレンタインデーなんて、なくなりゃーいいのにな』 先輩の本音を聞いた後で、今さらこんなもの渡せないよ…… でも、渡さなかったら……せっかく高橋さんにも手伝ってもらったのに、申し訳ない…… 先輩がいらないって言うのなら、仕方がないから「欲しい」って言ってた三枝君にあげちゃう? けれど、一生懸命作ったものだから……食べてもらえるのだったら、先輩に食べてほしい…… でも…… でも…… 頭の中はぐるぐるして……でも、時間だけは過ぎていって……シャワーの音がぴたっと止んだ。 だめだ。もう、先輩が部屋に戻ってきちゃう…! 僕は急いでコートを身につけマフラーとバッグを掴むと、無理やり靴に足を突っ込んでドアを開けた。 あわてて外に出ると、ひやっとした冷たい空気が僕を包む。 そのまま駆けるように階段を下りると、駅までの道を走り出す───まだ今なら、電車に間に合いそう。 駅に着いて改札を抜けて……電車に乗り込んだところで、携帯電話を取り出すと、先輩から何件も着信があった。 ……でも、今さらかけ直す勇気はなくて───メールを返すことにした。 『今、電車の中です。   ごめんなさい。  今日は帰ります』 どんな返事か返ってくるのか……見るのが怖くて携帯電話の電源を切る。 結局チョコは、こたつの上に置いてきてしまった。 ……怒らないで、呆れないで、箱を開けてほしい。 で、一口でいいから、食べてほしい。 僕の気持ちが届きますように……マフラーの端をぎゅっと握って祈った。 次の日の朝。 枕元に置いていた携帯電話を確認したけれど、先輩からの返信メールはなかった。 ……僕が思っているよりも、大したものではなかったのかもしれない。 チョコも。僕も。 今日は早番で、しかも日曜日で。電車の本数は少ないから、いつもよりもずっと早く家を出る。 身支度を整えて……朝ごはんを作って……何となく食欲はなかったんだけれど、無理して詰め込んだ。 仕事とプライベートはしっかり分ける。僕だって社会人なんだ。しっかりしなきゃ。 何となく昨日のバッグは使いたくなくて、他のものに変えた。 それからいつものようにマフラーを手にとって……元に戻した。 僕の宝物のマフラー……巻いていると勇気が出てくる大事なマフラー……でも、今朝は何だか涙が出てしまいそう…… 今日はもう、置いていこうかな。 ……でも、いざ置いていくと決めると、今度は何だか胸が苦しくて……結局、いつもどおり巻いていくことにした。 だって、悪いのはマフラーじゃない……悪いのは変に期待しすぎた僕だ。 靴を履いて、靴箱の上から鍵をとって、さあ行こう! 今日は日曜日!きっと一日忙しいぞっ! ───えいっと気合を入れて、勢いよく開けたドアの向こうに、先輩が立っていた。

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