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第10話

長谷川が部屋を出た後、課長と松野も一緒に部屋を出て行った。 今からあちこちで謝罪して、戻ってきたら一緒に残りを片付けて……って、あの様子だったらまあ、戻ってきたところで使い物にはなりそうにねーな。 長谷川にはエラそうなこと言ったけど、正直めんどくせー。 こんな大事なタイミングでやらかしてくれるなんて、俺に恨みでもあんのか?って思う。 はあ……とため息をつく。 まあ、あれこれ考えてもしょうがない。とりあえず今日残業するかわりに、課長には俺の要望をのんでもらったし…… きりのいいところまで作業を進めると、携帯を取り出して席を立つ。自販機の備え付けられた休憩所まで移動すると、時計を確認……17時半。葵の仕事は終わってる時間だ。 何ていったらいいのか……少し憂鬱な気分で電話をかけた。 コール音が5回鳴ったところで『はい』と葵の声が聞こえた。 「もしもし、葵?今話しても平気か?」 『うん。ちょうど仕事が終わって、外に出たところ。大丈夫だよ』 「そうか……俺はまだ仕事中。実は同僚が仕事で大きなミスしちまって…」 『えっ、それ大丈夫なの?』 「ああ……詳しい話はできないけれど、何とかなると思う。ただ……上司の指示で、俺もその仕事の手伝いをしなくちゃいけなくなって、さ」 『うん』 「だから、今日は残業することになっちまった」 『……うん』 「ちょっとまだ、どのくらいかかりそうか見通しも立ってなくて……悪いけど夕飯はひとりで食べてくれないか?」 『……うん、分かった。先輩はご飯食べられそうなの?』 「今、長谷川にコンビニで買ってきてもらってる……あ、長谷川はこの仕事には関係ないから、ちゃんと帰れる。別に高瀬君に連絡とか、しなくていいからな」 『うん』 「……で、さ……今夜はお前のとこ、泊まる約束になってたけど……」 『……うん』 「何時に帰れるか分かんねーから、俺、自分の家に帰るわ」 『……………うん』 「お前の家に旅行用の荷物置いてるけど、明日の朝迎えに行くついでに受け取る。だから、そのままにしといてくれ」 『……………うん』 「長谷川とは駅で待ち合わせになってるから、お前のとこに9時半頃に行くから」 『……………うん』 「明日は遠出するんだし、俺のことは気にしないでさっさと寝ろよ』 『……………う…ん………』 「……………」 『……………』 「……………葵」 『……………うん…』 「………ちゃんと、思ってること、言ってみな?」 『……………』 「……………葵?」 『……………』 「……………」 『………お、仕事……頑張って、ね…』 「……………」 『……………』 「……………」 『……………』 「何時に帰れるか分かんねーぞ?」 『……………』 「終電に間に合わないかもしれねーし」 『……………』 「お前の家に着いたら電話するから、それまではちゃんと寝てろよ」 『……っ!!』 「んじゃ、そろそろ切るわ」 『待って、先輩っ!』 「ん?」 『……あの………ありがと………早く……帰ってきてね…』 「あー……うん、頑張る。じゃ、あとでな」 『うん。待ってるっ。頑張ってね』 「おー…」 通話が切れて、葵の声が聞こえなくなっても……思わず携帯の画面を見ながら、さっきのやりとりが頭をめぐる。 『早く帰ってきて』って…… 『待ってる』って…… これじゃあ俺たち、まるで…… 「……まるで、『新婚さん』だな」 「うおっ!!………長谷川っっ!お前、盗み聞きしてんなよっ!!」 気づけば後ろに、コンビニ袋を提げた長谷川がにやにやしながら立っていた。 「盗み聞きって。こんなところで惚気てるのが悪いんだろ?」 「惚気てねーよっ!」 「いやいや、鼻の下伸びてるし……あー、俺も悠希に会いたくなってきたわー。さっさと帰ろー」 何だ、その棒読みのセリフはっ! 長谷川は俺に袋を手渡すと、さっさと去っていった。 「長谷川!お前、絶対イチャイチャするなよ!」 去っていく背中に声をかけると「はーい」と気のない返事とともにひらひらと手を振って、長谷川は振り返ることなく帰っていった。 渡された袋の中には、リクエストどおりのカツ丼と栄養ドリンクが一本。 ふっと苦笑いをひとつして、携帯をポケットに入れる。 「さて、働くか!」 長い夜になりそうだが、頑張るしかない。 ……俺を待ってるヤツがいるのだから。

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