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第24話
───────ガタン!
嫌な音がした。
人の気持ちにも自分の気持ちにもあきれるほど鈍感な同僚が、本気でできるはずもないのに「そろそろ別れようと思う」なんて馬鹿なことを口走ったところで、誰もいないはずの廊下から物音がした。
そのまま俺と田中が動けずにいると、バタバタという足音と、葵君を呼ぶ悠希の声……そしてガラッと引き違い戸を開ける音が聞こえた。
外からの音がぴたりとやみ、離れはまた静けさを取り戻したが……
「……………おい」
「……………」
「おいって!何ぼーっとしてるんだ!早く追いかけろよ!」
今の音と声と……どう考えたって事態が分かるはずだ。
田中の不用意な発言を、恋人である葵君が聞いてしまい、ショックを受けて飛び出した。誰だって分かることなのに、なぜか田中は動かない……座椅子に座って障子の方を向いたままだ。
あまりの様子にしびれを切らし、立ち上がって側に行くと、腕を掴んでぐっと引っ張り上げる……が、田中の重い腰は上がらない。
………ちっ。何やってんだよ!
「おい、田中─────っ!?」
腕を引いたことで見えた田中の顔はすっかり青ざめて、色を失くしていた。
これまでに見たこともないような表情に、思わず掴んだ腕を離してしまった。
「……………いいんだ」
「は?」
「いいんだ……これで……」
「いいって、お前」
「……いつかは、手を離してやんないと……って、ずっと思ってた……それがたまたま、今になってしまっただけだ……」
言い聞かせるようにつぶやく声には力がなく、それが本心とはとても思えない……こいつは本当にややこしい男なのだ。
はあ……と、ため息を一つついて、田中の目の前に腰を下ろす。
「………お前、なんであんなこと言ったんだよ。本当は別れたいわけじゃないんだろ?」
「……………」
「田中?」
「………泣いてばっかりなんだ」
「『泣く』って、葵君が?」
「そうだ……いつだってさ、あいつの笑ってるところが見たくて、俺にできること一生懸命考えるんだけど、どうしてもうまくいかない。再会して半年もしないのに、もう何度泣かしたか分かんねーよ……」
「……………」
「今日だって……ずっと一緒にいるのにさ……あいつ、お前ら二人を見て羨ましそうにしてんだ。いいなあ、って顔でさ。俺はお前みたいに、恋人に優しくなんてできないからな……自分と高瀬君と比べてがっかりしたんだろ……」
「そんな感じだったか?ちっとも気づかなかったけど」
「まあ、お前は高瀬君ばかり見てただろうしな。俺はそんな簡単には変われそうにないし……あいつだって、いつまでたっても遠慮ばっかだ……言いたいこと呑みこんで、わがまま一つ言えなくて……気を遣って、俺の顔色ばっか窺って……こんなちっとも優しくない、泣かせてばっかの男と無理して一緒にいたって、幸せになんかなれねーよ」
「……………」
「あいつ、自分の見た目には無頓着だけど、整った顔してるし。周りに気を配れるし、素直で優しいし。料理だってめちゃくちゃうまいし、かいがいしいところもあるし……俺にはもったいない奴なんだ。俺なんかには……」
「……………」
「でも、今ならまだ間に合う」
「……………」
「今なら、きっと……あいつを本当に幸せにしてやれる相手と、出会えるはずだ」
「……………」
「だから……これで……よかったんだ……」
「……………」
「……………」
「言いたいことは、それだけか?」
「……………ああ」
よし。
腹にたまってたものを吐き出して、すっきりするどころか、ますます落ち込んだらしい。田中は座りこんだまま、下を向いて黙ってしまった。
俺は声をかけずにそっと立ち上がると、半歩下がって微妙に距離をはかり…
「───────うおっ!!?」
………田中の肩口めがけて、蹴りをいれてやった。
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