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第29話

『お別れします』と言ったときの、あのきれいな笑顔はどこへいったのか。葵は顔をくしゃくしゃにして泣いていた。 「………先輩と……また…離れるの…は……もう…会えなく…なるの…は……怖い…」 ぽろぽろとこぼれ落ちる涙もそのままに、葵はとぎれとぎれではあるけれど、自分の気持ちを話し始めた。 「………せっかく…また…会えたから……もっと…一緒に…いたい……ずっと…一緒に……いたい…」 「……うん…」 「………でも……僕と…いて……先輩が………し…しあ…わせに……な、れ…ない…なら………僕は……僕……は…!」 そこまで話したところで、葵は「ううー…」と呻いて眼鏡を外すと、両手で顔を覆って泣き声をあげた。 俺よりずっと小さい身体をさらに小さく縮こめて泣く。まるで子どものように。 前かがみになって泣いているせいで、葵の細い首やうなじがよく見えて、それが何だか余計に痛々しくて。 これが、俺の与えたかった「幸せ」か? 俺と離れることが「幸せ」なんだと思ってたけれど、本当にこれが「幸せ」なのか? さすがに、鈍い俺にだって分かる……こんなのは正解じゃない。 『お前といたら幸せになれないんじゃない……もう、葵君は幸せなの!』 長谷川は、葵は幸せなのだと言った……俺と一緒にいる今が。それが正解ってことなのか? 「……葵……お前…俺といて、幸せ?」 俺の問いかけに、ひくひくとしゃくりあげつつ顔を上げた葵は、また顔をゆがめながら、叫ぶように言った。 「……幸せっ!……先輩と、一緒にいるだけで、僕は幸せなの!!」 そう言うと俺の胸に飛び込んで、浴衣をぎゅっとつかんだ。 また泣き始めた葵の髪を撫でてやると、ますます俺の胸に顔を押し付ける。 「ごめんな、葵。ひどいこと言ってごめん……こんな俺だけど、もう一回だけ、チャンスをくれよ……今度は勘違いしないから……もう一度、俺と付き合ってくれないか?」 ぴくっと身体がふるえて、葵はおそるおそる顔を上げた。 瞳はうるうると涙でいっぱいで、浴衣に顔を押し付けていたからか鼻も真っ赤。俺に別れを告げたときの微笑みとは程遠い……でも、俺のよく知る葵がここにいる。 「俺も、お前と一緒にいるだけで幸せだよ」 涙をためた瞳を大きく見開いたその顔も可愛くて、濡れている頬を撫でてからそっと口唇にキスをした。 葵は戸惑いつつもそれにこたえ、俺の首にその細い腕を絡めた。 俺の「幸せ」も葵の「幸せ」も、確かに今、ここにあった。

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