194 / 243
溢れる 第1話
着信音が鳴り響いている。
鳴り続ける携帯電話を前に、じっと動かない二人。
誰も出ようとしないから、当然、着信音は鳴り続けたまま…
「先輩」
「ん?」
「出ないの?」
「……ああ」
……出ないなら、せめて切ってよ。
そう言いたいけれど、言えない。何て思われるかが怖いから。
そうこうしている間に、着信音が止んだ。どうやら向こう側の人は、あきらめてくれたらしい。
ほっとして、息を吐く。
よかった……とりあえずは平穏が戻ってきたようだ……
お茶でも淹れよう。そう思って立とうとした瞬間、また携帯電話が着信を知らせた。
無機質な音が部屋の空気を……二人だけだった空間を切り裂いていく。
「………先輩」
「……………」
「先輩っ」
「……分かった。出るよ」
そう言ってテーブルに置いてあった携帯電話を掴んで、通話動作をするけれど……ここでは話そうとせずに、先輩は外へと出て行く。
ドアを閉める瞬間…
「──お前なっ、今夜はかけてくるなって言っただろっ」
僕の耳に聞こえたのは、先輩の小さく叱責する声と……通話スピーカーから微かに漏れる女性の声。
─────バタン!
玄関のドアが閉まった。
………どうしてこんなことになってしまったんだろう。
訳も分からないまま僕は、ぽろりと涙をこぼした。
こんな状況になってしまったのは、いつからだったか…
珍しく連休がもらえた僕のために、先輩が温泉旅行をプレゼントしてくれて。幸せな時間を過ごすことができて。
先輩は僕のことを大事に思ってくれてるんだって、少し自信がもてるようになった。
そんな連休が明けて、ビルがリニューアルオープンをしたら……あの神社のおみくじって、本当に当たるのかも……思っていた以上に世間の関心を集めることができたようで、僕の働く書店にもお客様がどっと来てくださった。
客数も客単価も、休店する前と比べたらどちらも伸びていて、ゴールデンウィークが明けるまでの間はとてつもなく忙しくて……で、気づかなかった。
先輩が何か、僕には言えない隠しごとをしているということに。
ともだちにシェアしよう!