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第7話

翌日。 部屋の隅々にまで掃除機をかけて、スイッチを切ったところで、僕の携帯電話の着信音が鳴り始めた。軽快なメロディーが部屋の中に響く。 「……先輩?」 このサティのピアノ曲は、先輩からかかってきたときにだけ鳴るように設定してある。だから出なくても先輩からだって分かるんだ。 ちょっと重怠い腰に鞭打って部屋を移動し、急いで携帯を手にとると「はいっ!」とあわてて声を出した。 『……もしもし、葵?』 「うん……どうしたの?こんな時間に。仕事中だよね」 『ああ、そうなんだけど……今、家か?』 「うん」 『さっき気づいたんだけど、俺、鞄に家の鍵が入ってないんだ。もしかしてお前の家に置きっぱなしになってないか?』 「えっ!?──ちょっと待って!探してみるから。昨日鞄はキッチンに置いてたよね?」 『ああ』 急いでキッチンに戻って鞄が置かれていたテーブルの周りを探してみると……あった。 椅子の下に転がっている鍵。青い組紐の温泉にゃんこのストラップがついている――先輩の家の鍵だ。 「あったよ。椅子の下に転がってた……昨日、携帯を探してるときに落ちたのかもね」 いつもと変わりないように見えて、実は先輩も焦っていたのかもしれない。だから鍵を落としたことにも気づかず、ごまかすようなセックスをしたのかも… そんなことが頭に浮かんで、苦しくなってふるふると頭を振る……ダメだなあ、このマイナス思考。 「鍵、ないと困るよねっ。今から届けに行こうか?」 頭に浮かんだ考えを振り切るように、わざと明るい声を出して尋ねる。 今日は僕は一日休みだし、仕事帰りに電車を乗り継いで、僕の家まで鍵をとりに来るなんて大変だ。だったら僕が会社に届けた方がいいと思うんだ。 『あー……いや、いい。それよりさ、今夜うちに来ないか?』 「え?」 『その鍵使ったら、先に中に入れるだろ?一緒にメシ食ってさ、泊まっていけばいい。明日はうちから出勤しろよ』 「……………」 『葵?』 「………うん」 『………わりぃ……急にそんなこと言われても困るよな…』 「……二日も続けて、一緒にいてくれるの…?」 そんな贅沢なこと、あっていいのかなあ… 『……ばーか。それはこっちのセリフだって。じゃあ、来てくれるのか?』 「うん、行く!夕飯は僕が作るね!」 今夜もお泊り決定!先輩と一緒にご飯を食べて、お風呂に入って、隣で眠って……考えるだけで、気分が上昇する。 「じゃあ、今夜は」 先輩の好きなハンバーグを作るね……そう言おうとしたとき、電話の向こう側で『──田中さーんっ』と、先輩の名前を呼ぶ女の人の声がした。 「あ……仕事中なんだよね」 『悪い、呼ばれた。じゃあ、今夜、俺のうちでな?』 「うん!ご飯作って、待ってるね」 『ああ、楽しみにしてる。じゃあな』 そう言って、電話は切れた。 さあ、出かける準備をしようかな。 先輩に会うのが楽しみで仕方がなくて、うきうきした気分で僕は出かける準備を始めたのだった。

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