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第30話
その言葉を口にしたとたん、頭の中はあの日に……先輩と一緒に旅した日の夕暮れの風景にとんでいた。
先輩が口にした別れの言葉…
また離れ離れになることの恐怖…
ぎゅっと抱きしめてくれた先輩の胸の温かさ…
鼻腔をいっぱいにした、大好きな先輩の匂い…
暗闇の中で繋いでくれた手のぬくもりだって、ちゃんと覚えている――先輩の手が僕の手を掴んでいてくれるなら、僕はどんな未来だって怖くないんだ。
だって、どんな未来が待っていたって……僕も先輩も『一緒にいるだけで幸せ』なんだから!
「──もういい。こんなバカバカしい恋愛ごっこに付き合ってなんかいられないわ!」
「『ごっこ』じゃ、ねーぞ。俺たちは真剣だからな。むしろ、お前が言う『好き』のほうがずっと軽くて『ごっこ』遊びから抜け出せてねーぞ」
「っ!?……今に絶対後悔するから!後悔したって、私はもう…」
「だーから!後悔しないって……お前、そろそろまともな恋愛しろよ。意地と見栄で付き合ったって、幸せになれるはずないんだから」
「田中さんに言われたくないです!……あなた、女子社員からの評判は良くないですからね!」
「いいんだよ、んなの!こいつが俺のこと好きでいてくれたら、それでいいんだって」
「………私、二人のこと、みんなに話しますから」
─────え?
彼女は僕たちのことをばらすと言い出した。
それは先輩に迷惑をかけることで……一気に心の中が不安でいっぱいになる…
思わず先輩の腕を掴むと、先輩はさらにぎゅっと僕を抱きしめてくれた。
「いいよ、ばらせば。それで居心地が悪くなるような職場なら、こっちから願い下げだ」
きっぱりと言う先輩の言葉は力強く、自信に満ちている。
「大体、お前、言えんのか?簡単に自分になびくだろうと追っかけまわしてた寂しい独身男には男の恋人がいて、奪ってやろうとあれこれしてはみたが、結局相手の男には勝てなくて振られました、って」
「……………」
「分かったらさっさと帰れよ。俺たち、お前のおかげでしばらくできなかったイチャイチャを、今から堪能するんだからな」
「──さ、最低っ!!」
………確かに。
それは、この状況で言うのはちょっと……
先輩の軽口にあきれていたら、彼女は手にしていたバッグを振り上げた。
あっ、と思うよりも早く……先輩はくるりと回って僕と位置を変えると、彼女の一撃を背中で受け止めた。
「───先輩っ!?」
先輩を叩いて少しはすっきりしたのか……彼女はくるりと身を翻して、駅の方へと去っていったのだった。
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