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第268話
俺達は時間が許す限り、毎日一緒にいた。
楽しくて、嬉しくて、そして幸せな日々は早々と容赦なく過ぎていって
そして……及川さんが旅立つ前日……
今日も俺は、当たり前のように及川さんの家に向かう。
いや、これは当たり前じゃない。
明日にはもう及川さんは、俺の手の届かない所に行ってしまうんだ……
扉が開かれた瞬間彼に抱き付いて、逞しい胸に擦り寄り、愛しい香りを感じる。
そうすれば彼も力強く抱き締め返してくれて、寂しそうな顔で微笑み、俺の肩口に顔を埋める。
さっきまで離れていたなんて、本当に勿体無い……
ずっと彼の傍にいたい
でも、そう言うわけにはいかなくて
及川さんも同じこと思ってるって分かってるから、困らせたくなくて……
明日には彼が遠くに行ってしまうなんて
そんなの信じられない、考えたくもない……
だから、これから俺達が離れ離れになってしまうなんて、そんなの嘘みたいにしっかり密着して、お互いの体温を一番近くで感じ合う……
部屋の中に入って、ソファーに座って
キスして触れあって
ずっと離れず、手を絡め合ったまま
しばらく二人だけの時間を過ごす……
俺の首筋に頬を擦り寄らせていた及川さんが、顔を上げて徐に口を開いた。
「ねぇ飛雄、何か一緒に特別なことしたい」
「……え? 特別?」
「ずっとこうしてくっついてるのも幸せなんだけど、今までしたことない、二人で一緒に出来ることがしたいなと思って!」
突然そんなこと言われても何も思い付かないし、明日には及川さんは東京に行ってしまうから、今のうちにもっとくっついていたい。
あなたを感じていたい……
でも、彼の言う今までしたことないことを、
二人で、一緒にする……
なんて魅力的な響きなんだろう
あなたと、体験したことないこと
もっと、一緒にしてみたい……
返事を待つようにこちらをジッと見つめていた及川さんが、俺の気持ちを読み取ったように口元を綻ばせた。
「よし、やろう! 二人で一緒に出来ること!」
「ハイっ!」
二人で何かを一緒にすることなんて、しばらく出来なくなってしまう。
だから、今、出来ることをしたい。
及川さんと……二人で……
「うーーん……何が良いかな?
うーーん…………………………
あっ、そうだ!」
目を閉じ腕組みして、しばらく考え込んでいた及川さんが、何かを思い付いたのかパッと目を開いて、俺の両手を楽しそうに握ってきた。
「飛雄! 一緒にカレー作ろうよ!」
「え? カレー?」
「そ! カレー!」
「どうしてカレーが出てきたんすか?」
「だって飛雄この前言ってたじゃん。
料理練習して、俺に食べてもらいたいって」
「た、確かに言いましたけど、まだ何にも練習してねーし、カレーなんて作れませんよ……」
「だから一緒に練習しようって言ってんの!
一人で練習しないで、二人で作った方が楽しいじゃん!
いつか上手になって、てきぱき料理作る飛雄を見るのも良いけどさ、下手くそでも一生懸命俺のために作ってる、そんな姿も見たい。
全部、ぜーんぶ見たいんだよ!
一緒に作って、一緒に食べたい。
それでさ、また飛雄の嬉しそうな顔が見たい。
お前カレー食べてる時、本当に美味しそうに、幸せそうな顔して食べてるからさ。
初めて俺の作ったカレー食べた時もそうだったよね。
可愛かったなぁ~……」
「…………」
「見せてよ。
一生懸命作るとこも、幸せそうに食べるとこも、全部……」
愛おしそうな瞳で言われた言葉に、胸がいっぱいすぎて溢れ返る。
俺が及川さんの全てを見たいように、彼も俺の全てを見たいんだな……
もうお互い恥ずかしいとことかもいっぱい見合ってきたのに、これ以上にもっと知らないことなんて1㎜もないぐらい、相手の全てを自分の目に焼き付けていたいんだ。
どんな些細なことでも一つ残らず
「はい、分かりました。
頑張りますから及川さん、色々教えてくださいね」
「もちろん! さっ、まずは買い物に行こうよ。
飛雄と買い物、買い物ぉ~」
嬉しそうに頷いて、俺の手をギュッと強く握ってから、スキップするように玄関に向かう及川さん。
あの時、ずっと手を繋いでるって約束した。
この愛しい体温が心地よすぎて、口が勝手にムズムズと動く。
彼の背中からも愛しいって気持ちが伝わってきた。
及川さんと一緒に買い物、料理……
恋人なら当たり前に、一緒にすることなのかもしれない。
それでも俺は初めてだし、及川さんとすること全てが俺にとって新鮮で、全然当たり前じゃない貴重なこと。
一緒にスーパーまで手を繋いで歩くこの瞬間も、全部が、大切なこと……
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